パンパンと呼ばれる職業婦人について、同僚たちは、いろいろな忠告をしてくれた。
つまり、遊郭では、その店が客の〈生命・財産〉の保証をしてくれるのに対し、パンパンはその意味では〝危険〟なのだが、遊郭のオ女郎サンが、経験豊かなプロフェッショナルなのに比べ
て、パンパンの場合には、アマチュアリズムの可能性があるということだった。
私は、〈生命の危険〉に対する予防手段を講じて、ひとりのパンパンを買った。とある旅館に入って考えたことは、忠告の第二項〈財産の危険〉である。しかし、これとて、古来あったもので、いうなれば〝枕さがし〟である。
背広を寝巻に着換えた私は、ハンガーに吊した衣類を、帳場に預けることを思いついた。早速キシむ階段をおりて、帳場のオッさんに、その旨を話しているところに、すでに寝巻を着た女性が、私を押しのけるようにして、帳場に入ってきた。
「オジさん。これ預かって……」
聞き覚えのある声に、その女を見ると、ナント、私の相方であるパンパン嬢ではないか!
彼女が、〝預かって〟と差し出していた品物が、私と同じように、ハンガーに吊した服とハンドバッグだった——つまり、彼女も、〈財産の危険〉を感じて私と同じように、衣類を持ってウラ階段をおり、帳場でハチ合わせをした、という次第であった。
リンタクくんについても、一度だけの経験がある——酔余、いまの三光町交差点あたりで声をかけられた。
「ダンナ! イイ子がいますぜ、オメカケさんですぜ。きょうはオヤジのこない日なんで……」
このようなキャッチ・フレーズに、私は、すぐノッて、乗ったのである。リンタク屋は、二丁目の対岸、いまのラシントンパレスよりも、もうすこし三丁目寄り、千鳥街のあたりのウラ、新
宿御苑に面した付近の、とある木造・兵隊長屋風のアパートに、私を案内していった。
それから以後のことは、泥酔していて、正確な記憶がない。ただ、翌日のひる前ごろになって、ノドの渇きに、私は目を覚ました。
見ると、四畳半のアパートで私は寝ている。枕はあったが、女の姿はなく、私は、前夜の記憶をたどって、リンタクのことを思い出した。……そして、〝オメカケさん〟という、魅惑的な言葉までも……。
確かにその部屋には〈生活〉があった。しかし、〝オヤジのこない日のオメカケさん〟という感じではなくて、〈生活のニオイ〉が強すぎた。
私は、起き上がって、部屋の一隅の流しで、水をゴクゴクと飲んだ。使ったコップをもとに戻そうとして、水屋(食器棚)を見ると、米穀通帳があるではないか!
「何野何子・四十五歳」と、そこには、この部屋の女主人の名前と年齢が明記されていた。私は慄然とした。
部屋の家具什器と、女の年齢とから、やがて顔を見せるであろう〝オメカケさん〟が、シラフの日中には、〝正視〟できない人物であろうことが、容易に想像されたからである。
……果たせるかな、野菜の買い物を抱えて、帰ってきたその人は、私のほうが、サオ代をタップリと頂戴せねばならない女性であった。
二十代の美青年にタンノーしたのか、「おひるをご馳走するから……」というサービスを、固
辞して私は出ていった。