レパートリー」タグアーカイブ

新宿慕情 p.100-101 オンナ言葉を使うと〝妖しい色気〟が

新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。
新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。

「ネ、私たちのレコード、買って頂けないかしら?」
色白でホクロが点在する顔は丸く、頭髪は七分刈りだろう。そこに、キュッと、豆絞りの鉢巻きをしめて、ダボシャツ風の半天の襟だけを、同じ豆絞りの柄にして、アクセントを出している

彼の姿は、いかにも、鮨屋の板場らしく、イナセでさえある。

それが、なんと、シナさえ作って、そういうのである。

「ナニ? アタシたちのレコードって、どんな…?」

イナセとシナとが同居するのだから、奇妙である。

一枚三千五百円という、LPレコードを出されて、そのジャケットを見た時、私は、やっと納得がいった。

寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。

だが、〝醜怪〟としか、いいようのない女装の連中が、新宿御苑あたりに勢揃いして写したカラー写真が、そこには印刷されていた。

そのひとりひとりを、仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。

それが、ヤッちゃんだった。しかも、店での例のユニフォームで、口をへの字に曲げ、眼ン玉をヒンむいて見せているではないか!

この松喜鮨は、〈年中無休・二十四時間営業〉が売り物である。だから、深夜が書き入れ時で、ホステスたちや、ホステス連れの酔客たちが、〝顧客〟ということになる。

ヤッちゃんは、この深夜勤務を担当している。そして、オーナーでもあるだけに、営業政策には、ことさらに気を配っていて、決して飽きさせないし、一度きた客を、また、こさせるように研究している。

山形県酒田市の出身。地元である程度の修行をしたのちに、上京してきたようだ。だから色白で、オンナ言葉を使うと、それらしい〝妖しい色気〟がかもし出されてくる。

唄がうまいし、美声である。そして、単なるスシ職人ではなくて、それこそ、本紙のトロッコなど、足許にも寄れないほどの〝教養〟の持ち主だ。

選挙の季節には、政治家の話もできるし、芸能界の事情にも通じ、どんな話題にも、即座に対応できるだけに、新聞も週刊誌も、良く読んでいる。その上多趣味である。

第一、スシ屋で、マイクが天井からブラ下がり、スポットライトに、テープその他の音響設備が完備している、という店はあまりあるまい。

唄の次は写真撮影

彼が、唄がうまいため、だけではない。電気知識がある、というべきだろう。

「只今より、オルケスタ・ティピカ・マツキの演奏が始まります」

当店を〝主要営業所〟とするアコーディオン弾きの石井クンが入ってくる。ガラス戸が開く前に、彼は、そう紹介する。当意即妙なセリフが飛び出す。頭の回転が早い、のである。

自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。

「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」

自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな

いのだから、それがまた、客に受ける。

新宿慕情 p.102-103 酒乱の客にもゴキゲンの客にもそれ相応に応待

新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。
新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。
「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」
自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな

いのだから、それがまた、客に受ける。

次は写真だ。

唄に飽きたと見れば、戸棚からカメラを取り出し、ホステスと客に向かって、「サ、もっとひっついて!」と、ポーズをつけさせる。

カメラから撮影技術まで、これまた、〝効能書〟に詳しい。

「ハイ、終わりました。サア、喰べましょう」

サッとカメラをしまいこんでまた握り出す。

「オネエさん、お名刺、チョーダイよ」

ホステスに、店と彼女の名前をたずね、新宿なら、翌日の夜には、その写真を届ける。銀座、六本木なら、速達で送る。

「コレ、高価いのョ。デモ、イイわ、オネエさんだから、あげちゃうッ」

カラーの顔写真入りの名刺を差し出す。

勘定は、極めて大ザッパだ。シラフの時に、ジッと見ていると、高く、安く、然るべくやっているようだ。

それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに喰べるだけの客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

良く寄ってくれるホステスがいれば、彼は、就業前の八時すぎから十時ごろまで、そのホステ

スの店に、〈客〉として、リュウとした背広姿で行き、然るべく、金を使ってくる。

いうなれば、これが、彼のホステスへのバック・ペイなのである。腰も、頭も低く、客として迎えた時も、客として支払う時も、彼の態度は変わらない。だから、ホステスに受ける。店へきてくれれば嬉しく、サービス料をツケこまないから、料金も安く上がるようだ。義理を欠かさない、という、東北の田舎町の人情味を身につけている。

酒乱の客にも、ゴキゲンの客にも、それ相応に応待して、然るべく扱う——これで、流行らなかったら、それこそ、オカシイというものだ。

サテ、肝心のスシの味は、といえば、材料を良くして、ナカナカのものである。

こう、観察してくると、ヤッちゃんの〈バラ趣味〉も、どうやら〈営業政策〉とも思えてくるではないのだろうか。

でも、それは、まったく〝憶測〟の域を出ない。別に、私が体験してみたわけではないのだから……。だから、冒頭に書いた〈ヤッちゃんとの交情〉という部分で、交情という言葉に、チョンチョンガッコを、意識して付けなかったのだ。

それでも、私の少年の日に、そんな〝体験——いうなれば初体験〟があるのだった。

中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。