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正力松太郎の死の後にくるもの p.014-015 「正力の読売」への愛情

正力松太郎の死の後にくるもの p.014-015 「正論新聞」が全く軌道に乗った時、私は正力さんを訪ねて、その題字を書いて頂こうと考えていたのに、その正力さんは、いまやもういない。
正力松太郎の死の後にくるもの p.014-015 「正論新聞」が全く軌道に乗った時、私は正力さんを訪ねて、その題字を書いて頂こうと考えていたのに、その正力さんは、いまやもういない。

というのは、その八十枚もの大作をものするため、正力さんの事跡を調べてみて、本当に、心

底から、「エライ人だなあ」と、感じたからであった。読売は、危機をのりこえて、さらに発展し、発展をつづけている。

さる八日の夕方、亡くなられる前日のことである。私は本社で、務台副社長におめにかかっていた。フト、思いついて、正力さんのご様子を務台さんに伺った。

「元気でね。私なども会いにゆくと、引き止めて仕事の話だ。しかし、人にあったあとがあまり良くない。だから、医者は面会させたがらないのだが、本人は元気だから、人がくれば引きとめる。……面会謝絶といえば、それでは悪いのだろうと思われる。だから、困るのだが、お元気だよ」

私は、その話で、〝会いに行きたい〟という気持が、わき起ってきた。虫の知らせというのだろうか。

私のは、〝会いたい〟ではなくて、〝見たい〟だったのかも知れない。あれほどの人物をそばで見るということは、それだけで影響されるなにかが、私に残されるから、私はそれがほしかったのだろう。

務台さんとのその会話から、十時間ほどで、正力さんは息を引きとられた。〝遠い〟と思った正力さんが、「現代新聞論」を書きはじめてから、私の「正力の読売」への愛情が、正力さんに通じたのであろうか。ともかく、何万、何十万人という読売関係者の中で、私が一番身近く正力

さんの健康を案じた人間だった、と信じている。

「正論新聞」が全く軌道に乗った時、私は正力さんを訪ねて、その題字を書いて頂こうと考えていたのに、その正力さんは、いまやもういない。一世紀にも近い、その生涯で、何百万人、何千万人もの人々の胸の中に、なにかを与え残して、神去り給うたのだった。