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最後の事件記者 p.024-025 部下の記者に後事をたのんだ。

最後の事件記者 p.024-025 警視庁キャップの萩原記者と、社会部の先輩の一人をたずね、事情を説明すると同時に、辞職する決心を打明けた。
最後の事件記者 p.024-025 警視庁キャップの萩原記者と、社会部の先輩の一人をたずね、事情を説明すると同時に、辞職する決心を打明けた。

すぐに社を出ると、私は塚原さんを自宅にたずねた。この軍隊時代の大隊長だった塚原勝太郎氏は、全く何の関係もない人だったのに、私が頼んで旭川へ紹介してもらったばかりに、事件の渦中へ引ずりこんでしまったのだった。

私は、塚原さんに事件の経過を知らせて、迷惑をかけたことを謝った。それからすぐ、読売の警視庁キャップの萩原記者と、社会部の先輩の一人をたずね、事情を説明すると同時に、辞職する決心を打明けた。小笠原を旭川へ落してやる時から、失敗した時の覚悟は決っていたのである。

深更帰宅したのち、妻にすべてを話し、明日、警視庁へ出頭する準備をした。家宅捜索を受けても不都合なものはないし、あとは静かに辞表を書くだけだった。

二十一日の月曜日早朝、その辞表を持って金久保社会部長の自宅へ行き、取材に失敗した経過を話して、辞表を出したのである。社会部長は、「刑事部長と相談してみよう」といって、一緒に警視庁へ行った。部長は萩原記者と二人で刑事部長に会ったが、私は自分の担当の司法記者クラブヘ行った。

その後、二十一日の正午ごろ、刑事部長と捜査二課長とに会った。しかし、私としては社を退職し、逮捕されるつもりなのだから、一応の事情を説明しただけだ。

その時、私はいった。

『この事件は取材以外の何ものでもありません。しかし、私の行為は犯人隠避に相当するのだから、逮捕されるのなら、何時でも出頭します。逮捕される時には、社を退職して逮捕されたいので、事前に教えて頂けないでしょうか』と。

こう話して、警視庁の記者クラブヘもどってきた時、何人かの顔見知りの記者と挨拶をしながら、私はフト感じた。

——そうだ。クラブ各社の記者と会見して、私の事情を説明しておこう。

——イヤイヤ、私は司法記者クラプのキャップだ。その経験を積んだヴェテラン記者が、犯人隠避の疑いで逮捕されるのだ。今までは書く身が、書かれる身になるのだ。一体各社がどんな扱いをするか、どんな記事をかくか、黙って経験してみよう。

——それに、大特ダネをものにしようとして失敗したのだ。今さら、逮捕をカンベンしてくれと哀願したり、各社に記事をよろしくなどというのは、いかにも卑怯だ。

私はそう考え直した。だから、あえて黙っていた。そうして自分のクラブヘ行き、部下の二人の記者にだけ、事情を話し、後事をたのんだ。