先生は、二枚のハンカチを手にして、バスルームへと、私を誘った。
「手を洗いなさい」と、ゼスチュアで示して、先生も、自らそうした。ハンカチは、洗濯もの入
れに投げこまれた。
夫人がいないのだから、これは、キット家政婦に洗わせるに違いない。
大阪のロイヤルホテルのバスルームには、ハンカチ大と手拭い大のタオル、それに大きなバスタオルと、三種類のタオルのほかに、食事のナフキンと同じ布地のものがセットされているので さる物知りにたずねた。
「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」
「毛唐どもは、京花(きょうはな紙)など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」
そういう説明を聞いた時、私は、あの音楽家との〝交響曲〟の後始末を想い出して、ハハンとうなずいたものであった。
バスルームを出た先生は、まるで、ツキモノがオリたかのように、私などには眼もくれず、サッ、サッと、力強い足取りでピアノに向かい、また、激しく嵐の曲をカキ鳴らすのだった。
いまならば、これをオスペといい、フィンガーテクニックなどというのだろうが、ピアノ弾きの指の鍛練には、キット、あのようなオカマのスタイルが、必要なのであろう。
なぜひとり男装?
先生の演奏が、〝交〟響曲であって、〝後〟響曲でなかったのは、もはやふたたび、そのようなチャンスに恵まれないであろう私の〈性生活史〉にとって極めて、残念なことであった。
しかし、私のオカマ初体験が意外に〝健康的〟であったことが、私を精神的に健康にし、健康な肉体と、健康な性とを持たせてくれたのであろう。
もしも、この先生によって、〝後〟響曲を演奏されていたら私は不健康な男に成長し、カジヤマ・ウノ・カワカミ如き文章を書いて、〝性〟論新聞を主宰するようになっていただろう。
そのことを、太平洋戦争前にアメリカに移住していった先生に、感謝しなければなるまい。
またまた、余談が長くなってしまったが、松喜鮨のヤッちゃんが、ほんとうの薔薇門教徒なのか、どうか?
私には、ヤッちゃんとの〝交情〟がないだけに、どうも、営業政策のように思えてならないのである。
あのレコードジャケットで〝男装〟なのは、ヤッちゃんだけ、だから……。
〝禁色〟のうた
留置場では女無用
もうしばらく、オカマの話をつづけさせていただくことにしよう。