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新宿慕情 p.028-029 青線区域に遊歩道 新宿遊郭は二丁目

〈青線区域〉というのは旧遊郭の〈赤線〉に対する言葉で、三十二年ごろの売春防止法施行と同時に消えた。
新宿慕情 p.028-029 〈青線区域〉というのは旧遊郭の〈赤線〉に対する言葉で、三十二年ごろの売春防止法施行と同時に消えた。

二十代の美青年にタンノーしたのか、「おひるをご馳走するから……」というサービスを、固

辞して私は出ていった。

その笑顔から察するに、多分私は、肌を合わせたに違いなかった——今に至るまでも、私が経験した〈最高年齢〉記録を、この新宿のリンタクが打ち樹ててくれたのだった。

ロマンの原点二丁目

むかしの青線に遊歩道

いまの靖国通り、新宿アド・ホックビルの真向かいから明治通りの新田裏(なんと古い地名であろうか。東京屈指の盛り場である新宿に、こんな〝新田〟=しんでん=裏という名前が残っているのだ)にいたる間、まるで武蔵野を想わせる散歩道が数百メートルもある。

これは、東大久保から抜弁天経由で飯田橋にいたる旧都電の線路跡(軌道敷)だ。

新宿の表通りから都電が消え、次いで、このルートも消えた。新田裏から抜弁天にいたる間は裏通りを走っていたので、一方通行の道路となったが、両側の家は、みな背中をさらけ出すハメになったが、それなりに改造されて、それほどの醜さは表われていない。

こちらは、しもた家だからまだ良い。しかし、この散歩道に変貌した部分は、両側とも飲食店

しかも、片側はいわゆる青線区域だったから、なんとも汚らしい。

相当な経費をかけたのだろうが、この跡地を払い下げたりせずに、樹をたくさん植えこんで、両側の汚い部分に目隠しをして散歩道にしたのは、グッド・アイデアであった。

雨の降る日など、石ダタミの水たまりに映える、傘の女性の姿などは、夜のわい雑さを忘れさせる風情がある。

この〈青線区域〉というのは旧遊廓の〈赤線〉に対する言葉で、警察の取り締まり上から、赤青の色鉛筆で、地図にしるしをつけたことから出た、といわれている。

三十二年ごろの、売春防止法施行と同時に消えた、それこそオールドファンには懐かしい言葉である。

某月某夜、作家の川内康範氏を囲んで、数人で飲んでいた時、談たまたま、むかしの新宿遊廓に及んだ。いわゆる二丁目、である。

「むかしの新宿、といえば、二丁目にステキな子がいてネ……」

出版社の社長であるS氏が、身体を乗り出して、ホステスたちの顔を見まわしながら、話しはじめた。

大正二ケタたちは

「シヅエという、沖縄出身の、髪の毛の長い妓でネ。これがまた、〝名器〟でして……。心根と

いい、いまだに忘れられない。だから、私は、シヅエという名の女と、髪の毛の長い娘が大好きでしてネ」

新宿慕情 p.030-031 他の遊廓に比べると新宿には美人が多かった

遊郭、赤線と呼び名は変わっても、初老たちのロマンの原点は、吉原とか洲崎パラダイスとか新宿二丁目とかに根付いている。
新宿慕情 p.030-031 遊郭、赤線と呼び名は変わっても、初老たちのロマンの原点は、吉原とか洲崎パラダイスとか新宿二丁目とかに根付いている。

「シヅエという、沖縄出身の、髪の毛の長い妓でネ。これがまた、〝名器〟でして……。心根と

いい、いまだに忘れられない。だから、私は、シヅエという名の女と、髪の毛の長い娘が大好きでしてネ」

ホステスたちが、ドッと笑った。髪の長いのも、シヅエという名前のも、そこにはいなかったからである。

こう、話がハズみ出すと、同席のだれかれ、大正二ケタたちのみんなが、新宿二丁目の思い出話を語り出す。

「ウンウン、二丁目、なァ……」

康範先生までが、〝骨まで愛した〟過去を懐かしむのだ。

そうして気付いてみると、遊郭、赤線と呼び名は変わっていても、初老たちのロマンが、意外にも、吉原とか洲崎パラダイスとか、新宿二丁目とかに、その原点が根付いているのだ。

それは、マリー・ベル主演の戦前の名画『舞踏会の手帖』と同じように、想い出のなかだけにあるべきなので、よけいに美化され、謳い上げられているからなのであろう。……そして、私にも、〝心のふるさと〟が、そこにはあった。

美人は〝床付け〟悪い

学生時代、はじめてひとりで二丁目に出かけた私は、当時の写真見世(娼妓が、直接、店に出ているのと、顔写真が並べてあるのと、二種類の営業形態があった)で、ひとりの妓に上がった。

もちろん、現実の彼女は、店頭の、修整された写真とは、別人かと見まがうほどであった。

しかし、他の遊廓に比べると新宿には、美人が多かった。そして、美人ほど〝床付け〟が悪いのが通例だった。いうなればジャケンな扱いを受けるのだ。

遊廓の情緒というのは、やはり、吉原を措いて、他では味わえない。大枚をハズんで、本部屋(まわし部屋、割り部屋に対する語)にでも入れば、それこそ、前借金の名義にさせられたであろう、タンスに茶ダンス、長火鉢と、妓の財産が並び、ヤリ手バアさんが、炭火を入れて、鉄ビンにお湯がチンチンとたぎる。

タンスの引き出しから、これも彼女自身の財産目録の第何番目かの、丹前に浴衣を重ねて、風呂にまで入れてくれる。それも、長襦袢の裾をからげて、久米の仙人が、神通力を失ったという白い脛をみせる、艶めかしさで、背中を流してくれるのだ。

いまようトルコ嬢の、ブラジャーにパンティといった、即物主義とは違って、百人一首時代そのままの〝情緒〟である。

妓は、妓夫太郎(呼び込み係の男性)に小銭を渡して、茶めしおでんなどを、夜のうちに買わせておく。朝食の仕度をするわけだ。

「散財をさせてしまったねェ」と、朝帰りを裏口まで送ってきて市電の片道切符を一枚くれる。記憶では、市電は片道七銭で、一系統ならどこまでも乗れた。

ところが、早朝割引というのがあって、朝七時ごろまでに乗ると、往復切符が九銭だ。復の切

符は、一日中通用する。この四銭五厘の切符を、プレゼントしてくれるのだ。