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赤い広場ー霞ヶ関 p.128-129 日本人スパイとのレポが目的か

赤い広場ー霞ヶ関 p.128-129 International conferences, sports, art are 100% abused for re-entry of former Soviet representatives to Japan.
赤い広場ー霞ヶ関 p.128-129 International conferences, sports, art are 100% abused for re-entry of former Soviet representatives to Japan.

占領中はソ連代表部からマッカーサー司令部に対して、〝馬鈴薯二トンと大佐一人〟を東京に運ぶために、ソ連輸送機の東京飛来の許可を求めればよかったが、講和発効後は元代表部となり追立てを喰って、ソ連人の新規正式入国は全く認められなくなった。

二十九年夏には、外務省に対し代表部から『ずっと独身で不自由なサビシイ暮しをしている者が何人もいる。これでは人道問題だから何とか考慮を願いたい』と、家族の入国許可を求めてきたが、外務省では『それではこの機会に本国へお帰りになっては』と断られた(同年十一月三日付朝日)ほどで、あの手この手の合法的日本入国を図り出した。それが国際会議であり、日ソ貿易であり、スポーツであり、芸術であるわけだ。

このソ連人の出入国の様子を眺めてみると、国交のない日ソ間でも相当ひんばんな出入りのあることが分る。代表部員がつぎつぎに帰国してゆくということは、その従来の業務が日本人によって代行されているとみられることである。これはしばしば指摘したようにラ事件の高毛礼被告がコテリニコフ、ポポフ両氏の業務の移管を命ぜられ、四千ドルという大金を預けられたことでも明らかである。まさに地下代表部員である。

ところが在日ソ連人が帰国することは容易だが、入国することは正式には拒否されている。

帰国者が日本に関する報告書やら、資料やらを持帰ることはできるが、新たに資料や指令を持込むことはできない。外交関係のある二国間でさえ、そのために伝書使を送るほどである。

これには国際会議やスポーツ、芸術などが百%利用されている。スケート選手団のロザノフ、水利会議にはマミン(通商官)イワノフ(政治部中佐)といった元代表部員がおり、電力小委にはマミン、アデルハエフと元代表部員二人を送りこみ、このさいには御念が入ったことには、後から来た鉄道小委のメムバーとして二人をスリ替えて、期限ギリギリまで滞日させるというほどであった。さらにオイストラッフのマネージャー、カサドキンなど、当局が確認しただけでも元ソ連代表部員で、帰国後に再入国したものは、全部で十名にも及んでいる。

当局がこれらの新入国者に注目しだしたのは、何といってもラストヴォロフ氏失踪のキッカケとなった、ロザノフ氏のスケート役員としての偽装入国で、それ以後神経をとがらしてみると、前記のように元代表部の部員か、シベリヤの日本人収容所勤務の経歴がある人物が、必らず何らかの名儀で一行に加わっていることを発見したのであった。

これらの人物がオイストラッフ氏における、カサドキン氏のように、伝書使であるか。またはさらに別の任務を持っているのかは分らないが、当局筋では高毛礼被告の自供内容のように′〝地下代表部員〟といった秘密組織との連絡だとみている。