東京新聞の新貝とは、警視庁記者クラブの友人だ。だが、聞いてみると、岡崎とは、白金小学校の同窓だという。すると、完全なヨソ者は、私だけということになる。
私と新貝とが、岡崎の想い出話を話し合っていたら、傍らのレディが二人、「岡崎先生とは、どういうお知り合いで? 朝日新聞の方ですか」と、話題に入ってきた。
「私は、娘も嫁いで、階下に娘夫婦、二階に私一人という生活なので、文章が上達すればと、岡崎先生に教わっていたのですが、六十の手習いで、なかなか…」
それに対して、新員は、「若い時に古今東西の文学作品を徹底して読むこと」という。私も、中学二年の時に、築地小劇場の楽屋で清洲すみ子に、「風とともに去りぬ」の初版本を貸してもらった。私の意見は、本を読むと同時に、徹底して書きこむこと。
同じように、毎日社会部記者から独立して作家になった、千田夏光も、「柳行李二個ぐらい、書きこまねば」という。
文章力というのは表現力である。しかし、新聞記者に求められるものは、同時に、表現力のもとになる、取材力である。取材力と表現力は、車の両輪に例えられる。
明治時代の〝新聞記者〟像は、「探訪」と「戯作者」の分業制である。探訪は、取材担当で、戯作者が表現担当だ。そして、その名残りは、昭和二十年まで、尾を引いて、古い記者には、どちらかしかできない、という人たちが多かった。
取材力というのは、対人的には、心理作戦である。大きな疑獄事件などが起きると、必ず新聞は、○○検事は、被疑者××をオトシた(自供させた)などと、見ていたように、若い検事と、老練な政治家や財界人との、調べの様子を書いたりする。
「新聞(記者)は、見てきたような、ウソを書き」という川柳がある。しかし、自分の取材体験を下敷きに、検事の片言隻句の話から、調べ官と被疑者の対話が、ある程度はイメージがつかめるのである。
リクルート事件が終わった時、東京地検特捜部の堤副部長が、仙台地検の次席に転出した。堤検事は、リ事件の端緒となった、楢崎弥之助議員への贈賄容疑の松原弘の、係検事だった。松原が、とうとう全容を自供しなかったので、堤副部長の転出は、左遷だというもっぱらの噂である。
対人的に、取材力とは心理戦争だ、というのは、相手に、真実をしゃべらせられるか、どうか、ということだからである。
対物的には、広く浅く(深いにこしたことはないが)、森羅万象に通じていること。つまり、話の裏付けになる証拠を、探し出してくることもできる、基礎知識である。「そういうもの」が、どこにいけば、入手できる可能性があるか。だれにきけば、どうすれば、いつならば…と、新聞記事の基本である、五W・一Hと同じことを、予見できる能力である。これが取材力である。そしてあとは、その運用、つまり、場数(ばかず)を踏むこと、経験の蓄積である。