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編集長ひとり語り第22回 テレビ局不祥事の背景

編集長ひとり語り第22回 テレビ局不祥事の背景 平成11年(1999)7月31日 画像は三田和夫60歳ごろ(右側)
編集長ひとり語り第22回 テレビ局不祥事の背景 平成11年(1999)7月31日 画像は三田和夫60歳ごろ(右側)

■□■テレビ局不祥事の背景■□■第22回■□■ 平成11年(1999)7月31日

TBS記者の入浴女性盗撮事件の報道を聞きながら、私は、もう何十年も昔のことを思い出していた——昭和24、5年ごろのことだろうか。朝、毎、読の3社が合同で、ラジオ局を作る、というのである。それが東京放送ラジオ局としてスタートした。その時、社内の消息通が解説して曰く「3社とも、チャンスとばかりに、社内のカスを放出したンだ」と。

やがて、読売は正力松太郎の発想で、独自に日本テレビを作る構想を進め、朝日も独自案で、東京放送から脱退し、毎日だけが残ったのである。その時、ラジオはテレビに対して、「社内のカスをテレビに出した」と。

日テレがスタートして、しばらくすると、読売社内にこんな噂が伝わってきた。テレビのスタッフは“新聞のカスのカス”だったハズなのに、サラリーが俺たちよりいい。電化製品などスポンサーのプレゼントでみな揃っている。だから生活レベルが新聞よりいい、というのである。“カスのカス”だったハズが、逆転してしまったのである。そして、テレビ全盛時代がくることになる。テレビ局員は、新聞から冷や飯を食わされた憂さを、娯楽路線を突っ走り、個人生活をエンジョイすることで忘れ、かつ、新聞記者を見返していた。新聞記者は、冷蔵庫やテレビがなくとも、志は天下国家にあり、社会正義の顕現に、自らを慰めていた、といえよう。

この風土の違いが、テレビ人のスキャンダルに見られると思う。テレ朝のバナナ醜聞の菅沼も、テレビに出演して腐敗した例だ。もちろん、新聞人のスキャンダルも多いが、それは、時代の流れといえよう。

私は、読売社会部時代に、取材相手から封筒を渡されたことがある。「正力くんによろしくナ、車代だ」と。相手の目の前で中身を見たら、5万円も入っていた。私は笑って返していった。「私の退職金より少ない」と。

それは、当時の社会部長竹内四郎の戒めがあったからだ。「お前たち記者には、誘惑が多い。だが、小銭(こぜに)には手を出すなよ。小銭しか出さない相手は、必ずしゃべるのだ。読売記者を飼っている、とな。とるなら、大銭を取れ。バレて社をクビになっても引き合うだけの大銭だ。大銭を出す相手は、決してしゃべらないからだ」

テレビ人は、新興媒体だけに、誘惑に取り囲まれている。テレビに出たがりやが多く、ことに女が多い。また、タレントを売りこむプロダクションは“酒と女”でタラす。民放各局の深夜番組のほとんどが、下品な女と下劣な男のタレントたちで作るワイワイガヤガヤ番組。これが公共の電波かと思うほどだ。

テレビ局は、まず、報道部門を分社化すべきである。“酒と女”に取り巻かれている制作部門に比べて、報道のストレスがキツイのではないか。社内に倫理委を設けて、どんな成算があるのか。そんなオ説教が効果のある時代ではないのである。

AVまがいの漫画雑誌と、堅い評論誌とを同時に刊行している大出版社。ハダカと教養とが同居しているテレビ局——日本の、この奇妙なマスメディアが、淘汰されるべき時期は近い。TBSの連続不祥事が、それを告げている。 平成11年(1999)7月31日