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正論新聞・創刊号 昭和42年元旦号 1面

正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 1面 風林火山 葉たばこ輸入にも〝黒い霧〟 詐欺常習者にいつもの顔ぶれ 水野繫彦 児玉誉士夫 吹原弘宣 森脇将光 大橋富重 森清 永田雅一 川島正次郎 山口喜久一郎 桜内義雄 田中角栄
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 1面 風林火山 葉たばこ輸入にも〝黒い霧〟 詐欺常習者にいつもの顔ぶれ 水野繫彦 児玉誉士夫 吹原弘宣 森脇将光 大橋富重 森清 永田雅一 川島正次郎 山口喜久一郎 桜内義雄 田中角栄
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 題号
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 題号
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 コラム・風林火山
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 コラム・風林火山

正論新聞・創刊号・風林火山

戦後のある時期に、バクロ・ジャーナリズムが、横行したことがあった。

「真相」という、反保守の雑誌が、保守系の代議士連中を、それこそナデ斬りにして、はじめのうちは、ヤンヤの喝采を博したものだった。が、やがて、その下品さがひんしゅくを買うにいたり、しかも、タネ切れでウソが多くなり、数十名の代議士の告訴で潰えさった。

また、すでに故人となったある参院議員のケースがある。

占領下の、引揚問題が重大な時、留守家族の支持で当選してきた彼の名は、毎日の新聞に大きく出ない日はなかった。その彼に女性関係のスキャンダルがあったらしい。

「青年新聞」という、革新系の新聞が、それを綿密に取材してきて、その記事を二十万円で買い取れというのに、参院議員は、自信に満ちて一蹴した。

新聞側は、「かかる議員にふたたび議席を与えるな」と、大見出しをつけ、八人の女の写真入り新聞を、その選挙区にバラまいたものである。

次の選挙で、婦人票の多い彼が、落選したのはいうまでもない。彼は不遇のうちに死んだ。

記者はいま、この創刊号の原稿をまとめながら、改めて、バクロ・ジャーナリズムということを考えてみる。

私利私慾が、私利私慾に分け前を強要するのに、活字という武器を使う——これが、バクロ・ジャーナリズムの姿である。

だが、今の時代ほど、本当の意味で、バクロを必要とする時代は、ないのではないか。

本物の味、本物の心。すべてに、本物の値打ちが認められない時代だからこそ、本物、つまり、ホントのことを、「知る権利」を持つ人々に、新聞人として「知らせる義務」がある。

刑訴法も刑法も知らず、〝エンピツ女郎〟が記事を書く。これが怪文書であり、バクロ・ジャーナリストだ。彼の人柄そのままに、下品で、尊大で、無恥で、無知だ。

記者は、読売社会部十五年のうちに、新聞人と自称できる、勇気と自信を与えられた。新聞が公器なればこそ、この〝育ての恩〟は、社会と次の世代に報ずべきである。

斬奸とか、筆誅とかリキむまい。あえて掲げよう。純正バクロ・ジャーナリズムの旗を!

正力松太郎の死の後にくるもの p.158-159 〝黒い霧〟スターたちの群れ

正力松太郎の死の後にくるもの p.158-159 そもそも、村山夫人と河野一郎との出会いは? と探してみると、同書一九八頁だ。大阪における新アサヒ・ビルの建設問題をめぐって、当時の経済企画庁長官だった「河野一郎との意気投合が始まる」とある。
正力松太郎の死の後にくるもの p.158-159 そもそも、村山夫人と河野一郎との出会いは? と探してみると、同書一九八頁だ。大阪における新アサヒ・ビルの建設問題をめぐって、当時の経済企画庁長官だった「河野一郎との意気投合が始まる」とある。

めまぐるしい転売といえば、すぐ思い浮ぶのは、大阪の光明池事件である。これまた、田中角栄代議士の日本電建が、東洋棉花との間でキャッチ・ボール式の転売、とどのつまり、四倍の高値で住宅公団が買いこんだという例である。これはもう一つ、広布産業事件というのがからんできて、東京相互銀行から一億円をダマシとった佐々木環(注。のちほど、板橋署六人の刑事が登場する)、吹原事件の大橋富重、さらには、児玉誉士夫までが登場する、いうなれば、『カゲの政界』オールスター・キャストの事件であった。

さて、とう本の重役陣をみてみると、まずトップに村山藤子氏。いうまでもなく、朝日新聞の由緒ある社主夫人である。続いて、河合良成、岡部三郎の両代表取締役が並ぶのだから、村山夫人は「会長」であろうか。

それから、キラ星の如くつらなる重役陣をトクと眺めて頂きたい。丹沢善利、同利晃父子、福島敏行(もちろん日通である)、小佐野賢治、永田雅一、川崎千春(京成)、江戸英雄(アア、名門〝三井不動産〟)、河田重(日本鋼管)、佐野友二(不二サッシ)、清水富雄、功刀 和夫といったところである。菊池寛実、土屋久男は、死亡で消されている。

社名でハハン、この重役陣でハハーン、うなずかれる方が多いに違いない。だが、村山家の当主夫人が、たとえ、有名な事業家とは申しながら、アサヒ・ビルやフェスティバル・ホール、病院などの経営ならともかく、関西から千葉くんだりの田舎まで出張って、〝黒い霧〟スターたち

の群れに投じられようとは!

このナゾトキを求めて、取材してみると、ヒントがみつかった。「朝日新聞外史」(細川隆元)一九四頁である。昭和二十八年の八月、永田大映社長と村山夫人が、事業のことで会談した際、「常務の永井大三が、近ごろ事ごとに社長にタテついて困る」という話が出た。かの有名な「朝日騒動」のプロローグである。永田社長は、朝日出身の河野建設相に相談して永井常務を朝日から追い出すのなら、公団副総裁あたりのポストを用意して、引退の花道をつくってやるべきだという。そして、同書二〇〇頁には、村山夫妻と、河野、永田の四者会談が開かれるクダリがある。

そもそも、村山夫人と河野一郎との出会いは? と探してみると、同書一九八頁だ。大阪における新アサヒ・ビルの建設問題をめぐって、当時の経済企画庁長官だった「河野一郎との意気投合が始まる」とある。

京葉土地開発の発足は、昭和三十八年八月である。〝河野学校〟の優等生たちに、会長にとカツがれたのは、この「河野との意気投合」だけのエンではない。このグループの中の、巨頭に「朝日新聞に巣喰うアカたちの追出しをお手伝いしましょう」と、まンまと言い寄られたのだといわれる。

だが、この会社は、総額五百億ほどの事業計画だけは樹っているのだが、船橋付近の漁業補償がまとまらず、まだ何も仕事をはじめていなかった。事務所も、河合社長の小松製作所ビルに移

って、時到らばと、村山夫人の利用を待っている。

黒幕・政商たち p.208-209 川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶ

黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。
黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。

デビ夫人が「パパ」と呼ぶ人

さて、こうして、各種のケースを眺めてみると、〝政治家と結んだ虚業家〟の像が、ハッキリと浮んでくる。旧聞だが、スカルノ氏にミス明眸金勢さき子さんを献じた木下商店や、それ

を真似たデビさんの東日貿易久保正雄社長なども、好適例であろう。そして、デビさんは、やがて川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶようになる。しかし、最近でいうならば何といっても、四十一年暮の「東京大証」事件である。そして、毎日新聞は、十一月二十九日朝刊に、「政治家の顔、また登場」と、水野社長の結婚披露宴の、メイン・テーブルの写真をスクープした。朝日は十二月三日付朝刊で、毎日の写真と角度をかえて、「波紋描く詐欺師の祝宴」と同様な〝証拠写真〟を報じた。

毎日の写真は、左手前なので、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は右手前からで児玉氏は入らず、後を追った週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題してこの写真を掲載したが児玉氏がカットされていた。

詐欺師と政治家——この奇妙な交際を確認するため、ここでは、一昨年の吹原——森脇——大橋富重——田中彰治事件と、こんどの大証事件にいたるまでの、「週刊新潮」誌のサワリをひろって、なぞってみた。

〝黒い霧〟周辺の人言行録

「吹原さんの共犯者みたいにいわれている黒金もほんとうは被害者でそれも大平さんなんかよりもずっと大きい被害者なんですのよ。黒金の女性関係までウワサされているようですが、あのウワサされている方(注=吹原ビル地下の喫茶店〝絵美〟の女経営者で、元新橋芸者であった南雲美奈江さんのこと)は、ほんとは黒金のじゃなく、黒金の友人のなのですよ」(黒金泰美氏夫人)(週刊新潮四十年五月十七日号)

元新橋の芸者で今はレストランのマダムに納まっているI女史がズバリ。

「黒金さんの奥さんが喜美代さん(美南江さんの新橋時代の源氏名)は黒金の友人の二号さんだというようなことをいってるらしいけど、あれはいけませんねえ。他人に迷惑かけることですわ。黒金さんの友人なんていったら、大平さんとか前尾さんが疑われますよ。喜美代さんが黒金さんの二号さんだということはハッキリしていることだし、子供もいることなんだから、ああいういい方をしてはいけませんよ」(週刊新潮四十年六月十九日号)

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが 裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。

黒幕・政商たち p.210-211 四人が組んでやった大きな仕事

黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治
黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが

裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。政治家との関係もどうこういわれるんでしょうが、そら伴さん(故大野伴睦氏のこと)とは親子のような関係でしたし、政治家でもトップクラスの方なら、池田さんでも佐藤さんでも川島さんでも河野さんでも——中曾根代議士なんか、十何年の親しい仲ですしねえ」(週刊新潮四十年七月二十四日号)

二宮氏によると、田中角栄、小佐野の両氏は古くからのなじみであり、蔵相就任前に田中氏が代表取締役をしていた家の月賦販売会社「日本電建」を経営困難から小佐野氏に「引き取っ

てもらった」という間柄である。〝光明池〟問題は、この田中氏の〝民間業者と大臣との身分の使い分け〟がいっそうロコツに現われているという。

「あの光明池だけでも田中角栄は十億円ちょっともうけたという話を、私は大橋富重の口から聞いています。また田中——小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげたらしい。この手口をずっと見ていたのが田中彰治で、彼は小佐野や大橋をゆさぶったわけです。大橋、田中(彰)が逮捕されてから、もうかなりその辺の事実を自供してしまっているというから、あるいは事件は小佐野——田中(角)へ飛火し、さらに進めばこの二人にさる右翼の大将、それに某銀行家を加えた四人が組んでやった〝大きな仕事〟にも火がつくかも知れない…」と某代議士は語っている。(週刊新潮四十一年十月二十二日号)

終章 検事総長会食事件

昭和四十三年。十月八日付日本経済新聞夕刊=東京地検特捜部は、八日朝から新日本新聞社社長小原英丘(えいきゅう=本名孝二・55)と、同社員ら計六名を、中曾根康弘運輸相らに対する名誉棄損と、日通をきょうかつした容疑で、任意出頭を求めて取り調べを始めた。調べが済みしだい同日中に次々と逮捕していく見込み。