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迎えにきたジープ p.150-151 原住民工作の失敗の最たるもの

迎えにきたジープ p.150-151 International intelligence conspiracy battle set in Manchuria. Japan, Soviet Union, Germany, CPC, KMT, US, UK. Who won in seven countries? It is the CPC.
迎えにきたジープ p.150-151 International intelligence conspiracy battle set in Manchuria. Japan, Soviet Union, Germany, CPC, KMT, US, UK. Who won in seven countries? It is the CPC.

アメリカは日本に原爆を貯蔵

一 国際犯罪の教官、情報ギャング

 アメリカの秘密機関のメムバーたちの多くは決定的な欠点を持っていた。もちろん数人の例外はあるのだが。

 この決定的な欠点というは、占領軍なるが故の失敗であり、誤ちである。秘密機関と限らず、全部の米国機関に共通していえる欠点である。しかも、秘密機関であるだけに、その欠点は大きく影響してくる。

 そしてこの欠点というのは、同時に「大日本帝国」が大陸や南方で犯したのと、全く同様の性質のものである。

 八月十五日正午、陛下の御放送の直後、まだ全満に何十万という武装した日本軍がいたのに、建国十年になるという一つの国家が、ガラガラと響きをたてて崩れ去ったのであった。まさに、御放送の直後であり、一瞬にして崩れ去ったのであった。

 乙装備(現役、補充役半々の編成)の無疵の数個師団がいたにもかかわらず、首都新京では、これらの軍隊は無視されて、瞬時に無政府状態になった。満軍が反乱を起し、満人が暴徒化したのである。日本人婦女子は悲鳴をあげて逃げ廻った。

 これこそ、原住民工作の失敗の最たるものであろう。

 満州を舞台とした国際諜報謀略戦——日、ソ、独、中共、国府、米、英の七ヶ国で、誰が勝ったか。中共である。二十年六月以降、中共の謀略、諜報要員は古北口(北京—承徳間の長城線)の西方から三々、伍々と徒歩で長城線を突破して、満内に滲透してきていたのである。

 その一ヶ月余り後の七月十五日、張家口の特務機関では、宋子文がモスクワから重慶へ発した電報、『一ヶ月後、わが待望の勝利来る』をつかまえていた。まさに熱河省と関東州とは、当時から完全に中共の手に陥ちていたのであった。

 諜報活動の原則は偽瞞の連続であり、常識の堆積である。白昼堂々と公衆の面前である目的を遂行して気付かれないことである。そのためには、確固不抜の信念、執拗な粘り、困難を克服する意志力などが要求される。

 アメリカではこれらの欠点を、やはり金と力と物とで補っている。例えば大がかりな文書諜報である。公刊された各種の新聞、雑誌、書籍、ラジオ放送までの資料を最大限に集めて、その中に明らかにされている片言隻句の情報を集める。それを系統づけてゆくというやり方であ

る。

赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 日本人実業家・鮎川が依頼した?

赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 I tried to hear the facts from Tomi Kora, Kei Hoashi, Kisuke Miyakoshi, and Albert Lee, but all denied. A senior Chinese embassy said, “If you ask him, no one will admit it.”
赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 I tried to hear the facts from Tomi Kora, Kei Hoashi, Kisuke Miyakoshi, and Albert Lee, but all denied. A senior Chinese embassy said, “If you ask him, no one will admit it.”

一方孔祥熙はアメリカで揚子公司を創設したが、これは中共へ送り込む戦略物資

の買漁りをやったためアメリカ政府によって閉鎖させられた。そして揚子公司の東京支店として、昭和二十三年にアルバート・リーが日本に派遣されたらしいというのである。

この話を想像したのは日本の警備当局ではなく、はっきりと、アメリカの連邦検察局(FBI)で、日本の当局はそれに基いて行動していると言ってもよさそうだ。

記者は高良とみ女史に会って単刀直入に、訪ソ資金はどこから出たのかと失礼な質問をしてみたが、『全貯金を払い下げて行ったんですよ。私は北京で中国銀行総裁の冀朝鼎には会いましたが、彼はコロンビヤ大学の同期生だったから、懐しくて会ったにすぎない。帆足、宮腰両氏のことは知らないがあの人たちは日本から香港までは少くとも自弁でしたでしょう』と語った。

また当時香港では帆足、宮腰両氏に中共系の大公報記者が単独会見したとき旅費を渡したともいわれていたが、これは両氏に聞いてみると、『とんでもないデマだ』と二人とも否定した。アルバート・リー氏は『それは馬鹿げた評判である。私はアメリカ人だし共産党に資金を出すはずがない。アメリカでは政治的討論は自由だが、日本には旅行者として来ているのだから、政治的な話はしたくない。また揚子公司というのは孔祥熈ではなく宋子文がやっていたと聞いている。彼は蒋介石と義理の兄弟である。その東京支店は富国ビル内の三一公司がそれだと人に聞いたことはある。高良とか帆足という人はひょっとしたら出入りの多い私の事務所に、訪ねて来たことがあるかも知れないが記憶はない。いず

れにしても私の知ったことではない』と語った。

 最後に中国大使館の某高官は、『君たちのもっている情報が正確かどうか立場上言えないが、アルバート・リーが中共治下になってからの天津に往復していたことは確かな情報を持っている』と語った。この高官はつけたし『こういう話は本人に聞いたって、その通りだという人はあるまい』とも言った。

 全くその通りだが、われわれとしては聞いてみる以外に方法はなく、うわさのあることは事実で、うわさをあえて取りあげたのは東京の租界的性格を浮びあがらせるためであった。

 この記事を読んだリー氏は、『アメリカ人として共産党といわれることは、国家への反逆を意味する重大問題だ』と、日本人弁護士を通じて記事の全面的取消を要求してきた。

 そのため私はリー氏側の反証資料も参考として、事実に反するかどうか、再調査したのであった。しかしこの話は私自身で確証を得たものでないことをお断りしておこう。

 鮎川(名は分らない)という日本人実業家が、三人をつれてある米国籍人(この人も名前は分らないが、少くともリー氏の友人であろう)の許にやってきた。そして三人の旅費保証人になってくれという。鮎川氏の息子たちの渡米旅費の保証人になっていたその米人は、気軽く引受けてサインをしてやった。