アメリカは日本に原爆を貯蔵
一 国際犯罪の教官、情報ギャング
アメリカの秘密機関のメムバーたちの多くは決定的な欠点を持っていた。もちろん数人の例外はあるのだが。
この決定的な欠点というは、占領軍なるが故の失敗であり、誤ちである。秘密機関と限らず、全部の米国機関に共通していえる欠点である。しかも、秘密機関であるだけに、その欠点は大きく影響してくる。
そしてこの欠点というのは、同時に「大日本帝国」が大陸や南方で犯したのと、全く同様の性質のものである。
八月十五日正午、陛下の御放送の直後、まだ全満に何十万という武装した日本軍がいたのに、建国十年になるという一つの国家が、ガラガラと響きをたてて崩れ去ったのであった。まさに、御放送の直後であり、一瞬にして崩れ去ったのであった。
乙装備(現役、補充役半々の編成)の無疵の数個師団がいたにもかかわらず、首都新京では、これらの軍隊は無視されて、瞬時に無政府状態になった。満軍が反乱を起し、満人が暴徒化したのである。日本人婦女子は悲鳴をあげて逃げ廻った。
これこそ、原住民工作の失敗の最たるものであろう。
満州を舞台とした国際諜報謀略戦——日、ソ、独、中共、国府、米、英の七ヶ国で、誰が勝ったか。中共である。二十年六月以降、中共の謀略、諜報要員は古北口(北京—承徳間の長城線)の西方から三々、伍々と徒歩で長城線を突破して、満内に滲透してきていたのである。
その一ヶ月余り後の七月十五日、張家口の特務機関では、宋子文がモスクワから重慶へ発した電報、『一ヶ月後、わが待望の勝利来る』をつかまえていた。まさに熱河省と関東州とは、当時から完全に中共の手に陥ちていたのであった。
諜報活動の原則は偽瞞の連続であり、常識の堆積である。白昼堂々と公衆の面前である目的を遂行して気付かれないことである。そのためには、確固不抜の信念、執拗な粘り、困難を克服する意志力などが要求される。
アメリカではこれらの欠点を、やはり金と力と物とで補っている。例えば大がかりな文書諜報である。公刊された各種の新聞、雑誌、書籍、ラジオ放送までの資料を最大限に集めて、その中に明らかにされている片言隻句の情報を集める。それを系統づけてゆくというやり方であ
る。