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編集長ひとり語り第28回 警察暗黒時代のおそれ

編集長ひとり語り第28回 警察暗黒時代のおそれ 平成11年(1999)9月11日 画像は三田和夫52歳ごろ(正論新聞初期 1973年ごろ)
編集長ひとり語り第28回 警察暗黒時代のおそれ 平成11年(1999)9月11日 画像は三田和夫52歳ごろ(正論新聞初期 1973年ごろ)

■□■警察暗黒時代のおそれ■□■第28回■□■ 平成11年(1999)9月11日

7月15日夜、後藤田正晴前衆院議員の、徳島県の地盤継承のため、氏の甥の息子に当たる、後藤田正純お披露目パーティーが催された。“二世議員反対論者”だから、自分の息子は立てず、甥の息子を立てたということらしい。という論旨は、つい最近の深山神奈川県警本部長の記者会見の席での弁明と共通するものがある。

正晴前議員が午後5時から講演して、6時半から「正純君を育てる会」になる。発起人代表は自民党県連会長。来賓挨拶には、亀井静香議員、野中広務官房長官が加わり、最後は前議員の感謝の言葉だ——これでは、後藤田正晴の地バン、看バン、カバンの継承式だといって過言ではない。正晴⇒正純ときては“二世議員”そのものではないか。

私はかつて、後藤田警察庁長官が退任してすぐ、田中内閣の官房副長官になった時、警察界の精神教育上、重大な過ちだと批判したことがある。官僚制度からいうと、どちらの地位も、本省の次官級で横すべりみたいなものという、擁護論もある。だが、一般の警察官にとっては、自分たちの長官が、副長官という格下げになった感じだったろう。政界にでる過程だというのも弁解で、初出馬で落選したのは、県内の警察官が支持しなかったからではないか。

副長官⇒落選という時期以後、警察の綱紀弛緩は目をおおうばかりに進展した。元長官自身は、その後、実力者として副総理にまで進んだ。警察官僚の政界転出も目立ち、亀井静香、平沢勝栄両議員らは、“パチンコ議員”といわれている。パチンコのプリペイドカードで偽造団にウラをかかれ、大失態を演じたほどである。

私が警視庁記者クラブにいたころは、勇退させたい署長がいると、人事課員が自宅を調べたそうだ。すでに自宅を建てていれば、即勇退。まだ官舎にいると、ナゾをかけてもう1カ所、盛り場のある署長をさせる。自宅を建てろ、というナゾである。地元の金融機関から借金しろか、企業から寄付を取れか、そのへんはよろしくやれ、ということで、いうなれば“牧歌的”でもある。

後藤田議員の資産公開で、20億円余りの財産があった。そのコメントに「50年もお国のために働きつづけた、当然の蓄積」というのを新聞で読んだ記憶がある。総会屋対策と称して企業に警部、警視クラスを押しつけた。700万ものアクセスがあった東芝HP問題で、発端となった“東芝社員の暴言”というのも、警察出身社員だといわれている。エリート出身官僚が政界転出を図って、金と地位を得ているのに、一般警察官は、俺たちどうすりゃいいんだ、という気持ちになってくるのも、当然の帰結であるだろう。

自衛隊が軍隊でないのは事実だ。なぜならば、軍刑法を持たないからである。事件を起こして、警察に追われ、パクられる。これほど、隊員の誇りが傷つけられることがあろうか。イヤ、誇りがないのである。軍隊が、誇りという精神面から、任務遂行の団結心が培われるのと同様に、警察もまた、精神の支えが重大である。神奈川県警の一連の失態を見ていると、精神の支えも団結心もない。

深山本部長は、早大法出身で、よく神奈川県本部長まで出世したものだ。神奈川は大阪本部長、警視総監、長官への最短コースだが、関口長官と親しかったともいわれている。記者会見の深山本部長を見ていると、自分が預かる1万人近い県警察職員のため、自ら責任を取ろうという姿勢が見えない。警察官僚たちにおける、自分たち自身の危機管理能力欠落の実情に唖然とするばかりである。

日本の警察が、アメリカ映画の描くロス市警幹部の悪との癒着さながらに、精神的土壌の崩壊を招いてしまったのはナゼなのか。 平成11年(1999)9月11日

最後の事件記者 p.152-153 菊村到氏の記者モノ

最後の事件記者 p.152-153 読売で出世をしようとは考えていなかったのだから、彼はいつもゆっくりと出勤してきて、私をみるとニヤリと笑う、私も出勤がおそかったからだ。
最後の事件記者 p.152-153 読売で出世をしようとは考えていなかったのだから、彼はいつもゆっくりと出勤してきて、私をみるとニヤリと笑う、私も出勤がおそかったからだ。

現実のこの社会の中で、特に新聞社とは限らずに、あらゆる組織体の中で、果して実力者だけが〝立身出世〟をしているといえるだろうか。現実には、〝危険な英雄〟よりは〝安全なサラリーマン〟が、出世のコツであるのだ。

読売の記者に、ある立身出世主義者がいた。もちろん、バカや無能力者では、出世できないのは当然である。記者としての能力は、もちろん一通りは備えていた。しかし、彼には、「あの事件の時は…」といった、自慢話は、これといってないようである。

彼は、朝の出勤時間に、他人よりは必らず早く出てきた。他人といっても、他の記者もふくめられるが、特に部長である。彼は部長よりは必らずといっていいほど、先に出社したのである。部長が自席につく時には、必ずすでに坐っている彼の姿がある。

読売社会部出身の作家、菊村到氏の記者モノをみると、その記者は必らず部長より遅く出てきて、部長と視線が合わないようにして、ソッと席に坐る場面がある。彼の記者時代がそうだった。読売で出世をしようとは考えていなかったのだから、彼はいつもゆっくりと出勤してきて、私をみるとニヤリと笑う、私も出勤がおそかったからだ。

ところが、この〝出世〟記者は、早く出てくるのだ。このことは、確かにエライことだと思

う。努力なしではできないことだからである。私も敬服はしていたのだが、あとが何とも、私には我慢できないことだった。

夕方になる。昼勤の遊軍記者は、特に忙しくさえなければ、適当に消えてしまうのが慣例である。つまり夜勤記者が出てくれば、帰ってしまって、構わない。

ところが、この記者は、部長が着席している限り、絶対に消えないのである。しかも、横目や上目で、チラと部長の席をみる。部長が席を立たない限り、彼も立たない。このような記者が出世をする。部長となり、局長となるのである。

才能を殺す新聞機構

その限りでは、実力者であった菊村氏などは、新聞社における限り、不遇であった。彼の芥川賞受賞の光栄は、本当の意味では社会部員全部によろこんではもらえなかった。彼が社を去る時は、送別会すらなく、いつの間にか出勤しなくなり、辞令が出てはじめて、その退社を知ったほどであった。

だから、私の功名心を、このような立身出世主義に置きかえてみるのは、誤りだ。今度の横井

事件の〝五人の犯人生け捕り〟計画も、「彼は社会の多数がこうむる迷惑よりも、自分の抜け駈けの功名や、社会部長の椅子の方が大事であったに違いない」とみるのは、全くの誤りである。