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編集長ひとり語り第60回 小泉首相、やれるだけやってみよ!

編集長ひとり語り第60回 小泉首相、やれるだけやってみよ! 平成13年(2001)10月27日 画像は三田和夫60歳(左端 さくら会1982.04)さくら会:佐倉連隊の戦友会?
編集長ひとり語り第60回 小泉首相、やれるだけやってみよ! 平成13年(2001)10月27日 画像は三田和夫60歳(左端 さくら会1982.04)さくら会:佐倉連隊の戦友会?

■□■小泉首相、やれるだけやってみよ!■□■第60回■□■ 平成13年10月27日

日本が戦争に負けたあと、あるいは昭和27年の講和条約のあと、この国の今後の「国のあり方」について、誰が青写真を示しただろうか。

政治屋も評論家も、教育者も新聞社も、確かに「新憲法」に沿って、「平和国家」を異口同音に唱えた。だがそれだけに過ぎなかった。軍隊も持たない。だから、保安隊であり、予備隊であり、最後は自衛隊であった。子供の教科書は、近隣諸国のネジ込みにおびえて、総花的なとりとめのない編集となり、現在に至っている。

それから50余年が、安易な形のままに流れて、自民党の政治家はいよいよ小粒になり、日本は「独立国」のすべてを失ってしまった。リーダーシップを発揮できる指導者がいないのだから、国民各層は、金権至上主義に徹し、誰もが、今だけ、自分だけしか考えず、21世紀の「日本という国家像」を描くことは、精神的には叶わず、かつ、体力的(子供達の体力低下が雄弁に物語る)にも、それに甘んじることとなった。私たち戦前派が、日本という国家に殉ずる精神構造を築くには、明治維新以来の百年の歳月を要した。

そこに、小泉純一郎という首相が登場してきて、8月15日の靖国参拝を唱え、民間では子供達の歴史教科書の新編がはじめられたのだが、靖国参拝は自民党のボスどもとの兼ね合いで、8月13日に繰り上げられ、かつ、新編歴史教科書も多く不採用となった——。

私は、これらの経過を眺めながら、まず第一に歴史教科書が、多くの学校で採用され、子供達に影響が出てくるのが50年先。さらに50年を経て、日本が独立国路線を歩むかどうか。アメリカが特に発言しないのだから、靖国参拝で、中韓の不当な(自国の歴史教科書の中身からいって)干渉を拒否できるか。ダメなら、アメリカの属国路線を邁進することになるだろうと見ていた。それもそれで当然の成り行き、いささかもおかしくないことと見ていた。狂瀾を既倒にめぐらすことは不可能だからである。

案の定、小泉首相のその後は、アメリカ一辺倒で、テロ法案の制定に強引とも思える手法が、取られたのだった。これでは、靖国も教科書も、党内や周辺諸国の言いなりも止むを得まい。独立国でないことを認識している現実主義者・小泉の路線を、私も支持するものだ。

それらの、よってきたるところは、この50年間の自民党政治の然らしめるところだ。いまさら、何をかいわんやであろう。この復刊第4号まで、9月11日の“新しい戦争”論を読み返してもらいたい。ブッシュは、何をもって、“新しい戦争”といったのだろうか。その陣構えは、20世紀の戦争と同じだと書いたが、実際、空爆は誤爆、盲爆を伴い、アフガンの市民の死傷者も出ている。日本の各新聞からも、“新しい戦争”という見出しが消えた。“古い戦争”と同じ攻撃だからだ。もっともアメリカの場合は、航空機メーカーなど“死の商人”の圧力も大きいのだろう。

あれだけ、「ヤルぞ、ヤルぞ」と、心理的に圧力を加えながら、古い戦争スタイルに突入してしまったのは、いかにも残念である。例えば、あの圧力の最中に、駐パキスタンのタリバン大使にテロが加えられたら、状況も変わっただろうと思う。

こういう経過が予想できたから、ワシントンでの追悼集会の20万人の中に、“NO WAR”というアピールが出たことに、私は注意を払ったのだった。このアピールの願いも空しく、“OLD WAR”がはじまってしまった。悲しいことである。どういう収拾策が考えられているのだろうか。

私の一連の批判に対して、「どうにも鼻持ちならないので、意見をいわせていただきます」という書き出しのメールがあった。「あなたはアメリカやブッシュを高みから見下ろしておられるようですが、万一、ニューヨークの事件が、新宿の高層ビル街で起きたら、日本国民はどうするのですか。(中略)もし日本国内で大きなテロが起きた時の、編集長、あなたの対応、ご自身がどうするつもりか、存念を聞きたく存じます」と。

私は、「あなたはどうしますか」と反問したところ、「事情が許せば私は武器を持って闘います」と返してきた。このメールに対する件は、次回にゆずろう。 平成13年10月27日