中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。
少年の日の〝体験〟
友人、といっても、彼は外国人である。父親は、高名なピアニストであり、かつ、オーケストラのコンダクターであり、上野の音楽学校の教授という経歴さえ持っていた。ユダヤ系のドイツ人だったのである。
その先生の芸術的資質については、一族に、これまた高名な文豪がいるほどなのだから、推して知るべし、であろう。
城南にある先生の家に近づいた時、家の中からは、しきりとピアノの音が響いていた。
それを聞いて、私は、「ア、オヤジがいるな」と、思わず、足を止めてしまった。
というのは、先生がオカマ趣味であることを、かねてから聞き知っていたからである。中学の一年先輩に、ジャズピアノをやる市村俊幸氏がいて、彼は、音楽学校(こう書くからには、もちろん戦前のことである。いまならば、芸大だから……)の入試に失敗して、日劇ダンシングチームでピアノを弾いていた。
そのブーちゃんが、私に教えてくれていた、のだからだ。
大音楽家の〝交〟響曲
ピアニストの指が
市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。
「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだゼ」
そのころには、まだ、ホモだとか、ゲイといった言葉はなく、オカマ一本だった。印刷物も、高橋鉄氏の主宰する、ナントカ研究会の機関誌(会名も誌名も、正確な記憶がないから、こうした表現になったが、決してインチキ団体の意味ではないので、念のため)ぐらいしかなかった。
先生は、日劇の楽屋に出入りする時、エレベーターボーイにキスしたなど、当時としては、まさに、〝秘められたビッグニュース〟の主であった。
ピアノの音を聞いて、私は、ブーちゃんの〝大丈夫かい?〟を思い出したのだった。
玄関で呼び鈴を押すと、ピアノがハタと止んだ。
——息子はいないのかな?
〝不安〟が胸をよぎった時、ドアが開いた。