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赤い広場ー霞ヶ関 p.216-217 情報と謀略なく国は存立できず

赤い広場ー霞ヶ関 p.216-217 "There is no diplomacy without information," said a Foreign Ministry bureaucracy. However, the times have already come to a point where "a nation cannot exist without information and plot".
赤い広場ー霞ヶ関 p.216-217 ”There is no diplomacy without information,” said a Foreign Ministry bureaucracy. However, the times have already come to a point where “a nation cannot exist without information and plot”.

謀略もまた、鉄橋をダイナマイトで破壊したりすることばかりではない。また、そんなのは

下の下たるものであるが、やはり、謀略というと、大時代的な感覚しかなくて、軽べつ感が先に立つ。

しかし、ラ氏の亡命とか、シベリヤ・オルグの活躍とか、久原翁の引出しとか、すべてこのように、ある目的をもって、所期の事実を、自然に作り出すのが「謀略」である。

『情報なき外交はあり得ず』と、外務官僚は大見得を切るが、時代はすでに『情報と謀略なくしては、一国の存立はあり得ない』ところにきているのである。

今まで述べた米、英、ソ三国の情報機関の仕事をみてみれば、それは充分うなずけよう。

七月八日付の各紙によれば、政府は、内閣調査室に〝特高的〟調査は行わしめないようにしたという。当局者はいたずらに〝特高〟という言葉の、ニュアンスのみにとらわれて、迎合的であってはならない。

また、七月十日付読売夕刊の、マーク・ゲインのワシントン日記、「原子力時代のスパイ戦」にも、主役は科学者になると述べられている。事実〝静かなヴォルガの流れ〟とでもいう、一枚の観光写真さえあれば、この写真を立体化して、はるかの対岸にうつる工場の屋根だけからその工場の規模、内容、能力までが計算され得る時代である。

為政者は諜報と謀略という、古い言葉のみてくれだけにかかずらわって、今、なすべきこと

を見失ってはならないと信ずる。

ラ氏と志位氏の最初のレポは、東京は目黒の碑文谷警察署の裏手の住宅街の路上であった。少し早目にきて、佇んでいた志位氏は、パトロールの警官に職務質問を受けた。

ハッとして狼狽しかけたところへ、運良くラ氏が近づいてきた。早くも情勢を察知したラ氏は早口の英語でパトロールの警官を叱りつけたのである。英語を話すのはアメリカ人で、アメリカ人は味方である、という単純な考え方をした警官は、志位氏に『失礼しました』と謝って去っていってしまった。

同様に三橋事件のさい、ソ連スパイなら共産党員と思った国警都本部が、別人の三橋氏を追っていたこともある。

もし、碑文谷署のパトロール警官が、もっと自己の職務に忠実であり、自信を持っていたらラ氏と志位氏は、眼と鼻の同署に同行され、ラ事件は別の形で発展したかも知れなかったのである。

あらゆる国際犯罪の根が、暗黒都市「香港」にあることから、以前の国警では、香港に駐在官をおいて、情報入手の便宜を図り、国内の犯罪検挙の能率をあげようとした。ところが、何回申請しても、香港政庁はヴィザを出さない。