戒告・伊藤六豊三等空佐・元空幕防衛部運用課員」タグアーカイブ

黒幕・政商たち p.020-021 「三矢事件」は迷宮入り同様

黒幕・政商たち p.020-021 着眼したのが、文芸春秋が、松本清張氏の「防衛官僚論」を掲載しているのだから、清張氏に原稿料を支払ったほか、関係者に取材費が出ているに違いないとニランだのである。
黒幕・政商たち p.020-021 着眼したのが、文芸春秋が、松本清張氏の「防衛官僚論」を掲載しているのだから、清張氏に原稿料を支払ったほか、関係者に取材費が出ているに違いないとニランだのである。

O事務官から岩間議員までの、流出ルートは十分に推測されたが、物証の裏付けを得られないまま、調査隊は断念せざるを得なかったが、さらに第三回、つまり松本清張氏の第二回目に陸幕文書、統幕文書が出現するに及んで、O事務官退職後の、空幕文書以外の文書が出たことから、ついに内部問題としての、調査隊独自の捜査をあきらめ、警視庁公安部に対し、捜査協力を依頼するにいたったのである。

つまり、O事務官の事件に関し、防衛庁の記者クラブに属する、日刊紙の記者やら、日刊紙以上に激しい取材竸争をしている週刊誌記者が、捜査線上に浮んできたから、調査隊としては、力不足を感じたのであろう。

捜査協力を求められた警視庁としては専門家の誇りもあって、極秘裡に動き出した。まず、物証がなければ、強制捜査——つまり、逮捕状を裁判所に請求したり、家宅捜査などが行えないというので着眼したのが、文芸春秋が、松本清張氏の「防衛官僚論」を掲載しているのだから、清張氏に原稿料を支払ったほか、関係者に取材費が出ているに違いないとニランだのである。

これには、二説あって、防衛庁が文春に辞を低くして、支払伝票を見せてもらい、その中から〝然るべき〟人名を拾いだし、この名簿を持って警視庁に頼んだという説と、警視庁が〝任意提出〟を求めて(任意提出を求めるというウラには拒めば令状を持ってきて徹底的にやりますよ、という、インギン無礼的なニオイがする)、その中から人名を拾ったという説とである。

ともかく、こうして八名の新聞、雑誌記者の名前が浮んできたのであった。その中でも、新聞のK記者、D記者、雑誌のO記者らの動きが、当局側にとって、何としても納得の行かない多くの要素を含んでいた。だが、ついに、物的証拠はつかめなかったのである。ともかく、ガサ(家宅捜索)をかけて、メモから電話早見表、家計簿にいたるまで、証拠のヒントになりそうなものすべてを取り、さらには、容疑者を引ッ張ってきて泊めて、タタいて、吐かせる。そしてまた、ガサ、逮捕という、積上げ方式の、〝岡ッ引〟捜査技術に出発している、日本の警察の捜査技術では、このようなスパイ事件捜査は、未だしの感が深いのである。もちろん、単に、国家公務員法百条、自衛隊法五十九条という「秘密を守る義務」の項にしか準拠法令がないという、立法上の問題点はあるのだが。

防衛庁では九月十四日、「秘密の保全が不適切」という理由で、三輪事務次官以下二十六名の処分を発表した。その内容は、注意、訓戒、戒告の三種類。この中で一番重い戒告には、伊藤六豊三等空佐(元空幕防衛部運用課員)が、ただの一名であった。伊藤三佐は九月末日に退職したが、この処分を見ると、伊藤三佐への疑惑が、一番大きかったということが判るが、こうして、とうとう、「三矢事件」は、迷宮入り同様にして、ピリオドが打たれたのであった。だが、公式的な当局の捜査は、そんな形でピリオドが打たれたのだが、私が調べた限りでは、興味深い事実の数々がある。