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最後の事件記者 p.072-073 やがて正午の玉音放送だった。

最後の事件記者 p.072-073 学科の準備のために新聞をひろげた時、私は思わずガク然としたのだった。一面トップに、「地下飛行機工場について、読売新聞の徳間康快特派員は、次のように報じている」とあるではないか。
最後の事件記者 p.072-073 学科の準備のために新聞をひろげた時、私は思わずガク然としたのだった。一面トップに、「地下飛行機工場について、読売新聞の徳間康快特派員は、次のように報じている」とあるではないか。

一言、別れの言葉を本社に、そして母親に托したかった。もしかしたら、社会部の先輩が支局長でいるかも知れぬ。受話器を耳にあてて、胸をドキドキさせて待っていたが、リーン、リーン

と、空しくコーリングが鳴るだけ。時間に余裕があれば、馬を飛ばしてでも行ってみたかった。

教員窒に一人女学生がいた。その日、学校で行われる篤志看護婦試験をうけようと、やってきた子だった。去り難いのか、女の先生と二人で何やら話し合っていた。

『兵隊さんは、お国どちらですか』

先生の声に、私は受話器をおいた。

『東京です。読売新聞にいたんです』

『マア、東京⁉ あたくしも!』

女学生がハズンだ声を出した。聞けば、巣鴨の十文字高女から、昨秋転校してきたのだという。五中生の私と、話が佳境に入ろうとした時、伝令が迎えにきた。

『大隊長殿のもとに準士官以上集合です』

あの女学生はどうしたかナ。そういえば、オレは駄菓子の袋に残すべき、署名原稿をとうとう書かなかった。

「読売新聞シベリヤ特派員」

——徳間の奴!

その年の早春、まだ見習士官で駐屯地の古年次兵の教官をしていた時、時局解説というのを週一度やっていた。ネタは、一週間おくれで、一週間ぶりが一度にとどく、華北新報という新聞だった。

ランプの中隊事務室で、学科の準備のために新聞をひろげた時、私は思わずガク然としたのだった。

一面トップに、「地下飛行機工場について、読売新聞の徳間康快特派員は、次のように報じている」とあるではないか。つづいて、「○○にて徳間特派員発」の文字!

——どうして奴は兵隊に行かなかったのだろうか。あんなに良い身体をしていて!

彼はやはり読売の同期生だった。私は口惜しくて、その夜はねむれなかった。軍服を着ている自分がうらめしかった。どうして、私は記者として社へ残れなかったのだろうか。社へ残った徳間は、もう署名原稿を書いているではないか。

朝があけてきた。まだ、ソ軍戦車はやってこない。やがて正午の玉音放送だった。

昨夜の断腸の思いの、新聞記者への別れも、再びつながれた。ベストを尽した試合が、敗戦に

終った感じだった。解放感がこみあげてきた。私の心ははや東京へと飛んで、「再びペンを握れる!」というよろこびで、もう一ぱいだった。