すると、御アイサツである。「オヤ? あなたはあの世界へ行かれるのではないのですか。 好意的に書いてあげたつもりですのに」という。開いた口がふさがらない。
それどころではない。私の逮捕、起訴を報じた新聞の記事を読んで、いささか感慨にふけったのである。つまり、その記事をよむと、私は全くグレン隊の一味としか、思われないのである。「オレも落ちたものだなア」と、他人事のように考えていた。
だが、次の瞬間には、果して、オレもあのような記事を書いていたのだろうか、という反省が、それこそ、ボツ然と湧き起ってきたのである。果して、新間は真実を伝えているであろうか、という疑問だ。
イヤ、少くとも、三田記者はその記事で真実を伝えたであろうか、ということだ。今までの私なら、言下に、然りと答えただろう。だが、日と共に私はその自信を失いつつあるのだ。書く身が書かれる身となって、はじめて知った真実である。
いかにも、私の逮柿や起訴を報じた記事は、その客観的事実に関する限り、真実であった。私
たちが新聞学で教わった五つのW、何時、何処で、誰が、何を、どうした、という、この五つのWを充足する、客観的事実は真実であった。――だが、決して真実のすぺてではなかったし、一部の真実が、全体を真実らしく装っていたのである。
私は、そのことを発表したかった。もっと端的にいえば、グレン隊の一味に成り果てた私が可哀想だったから、弁解をしたかったし、弁解を通じて、「新闘は、果して真実を伝えているだろうか」という、世の多くの人たちが感じはじめている疑問を、もっと的確に、改めて提起してみたかったのである。
そして、私は文芸春秋十月号に、「事件記者と犯罪の間」という、長文を書いた。
これには、いろいろの意味で、大きな反響があった。私の手許にも、未知、既知を問わず、多くの感想がよせられたのだった。
この一文の反響を知って、私はさらに、あの一文で提起した、「新聞」と「事件記者」との問題について、もっと書かねばならないと感じたのである。もっとより多く、より深く、新聞と新聞記者とを知ってもらいたいと考えたのである。
日本中で、毎日発行されている何千万部もの新聞について、読者はもっと正確な知識を持たな
ければならない。そうでなければ、あの〝活字の持つ魔力〟に、ひきずり廻される危険がある。