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正力松太郎の死の後にくるもの 見返し カバーそで

正力松太郎の死の後にくるもの 見返し カバーそで 著者紹介
正力松太郎の死の後にくるもの 見返し カバーそで 著者紹介
正力松太郎の死の後にくるもの カバーそで 著者紹介
正力松太郎の死の後にくるもの カバーそで 著者紹介

著者紹介

1929年/盛岡市に生まれる。
1943年/日大芸術科卒業、読売新聞入社。
1958年/読売新聞を退社。

現  在/評論、報道のフリーのジャーナリストとして執筆活動を続けるかたわら、一般旬刊紙として「正論新聞」を三年前に創刊。
ひきつづき主宰している。

著  書/東京コンフィデンシャル・シリーズ「迎えにきたジープ」(1956年刊) 「赤い広場—霞ヶ関」「最後の事件記者」(1958年刊) 「事件記者と犯罪の間」(現代教養全集第5巻収録)=文春読者賞=(1960年刊) 「黒幕・政商たち」(1968年刊)

現住所/東京都新宿区西大久保1の361金光コーポ 505号

最後の事件記者 はしがき(つづき)

最後の事件記者 はしがき 02
最後の事件記者 はしがき 02

すると、御アイサツである。「オヤ? あなたはあの世界へ行かれるのではないのですか。 好意的に書いてあげたつもりですのに」という。開いた口がふさがらない。

それどころではない。私の逮捕、起訴を報じた新聞の記事を読んで、いささか感慨にふけったのである。つまり、その記事をよむと、私は全くグレン隊の一味としか、思われないのである。「オレも落ちたものだなア」と、他人事のように考えていた。

だが、次の瞬間には、果して、オレもあのような記事を書いていたのだろうか、という反省が、それこそ、ボツ然と湧き起ってきたのである。果して、新間は真実を伝えているであろうか、という疑問だ。

イヤ、少くとも、三田記者はその記事で真実を伝えたであろうか、ということだ。今までの私なら、言下に、然りと答えただろう。だが、日と共に私はその自信を失いつつあるのだ。書く身が書かれる身となって、はじめて知った真実である。

いかにも、私の逮柿や起訴を報じた記事は、その客観的事実に関する限り、真実であった。私

たちが新聞学で教わった五つのW、何時、何処で、誰が、何を、どうした、という、この五つのWを充足する、客観的事実は真実であった。――だが、決して真実のすぺてではなかったし、一部の真実が、全体を真実らしく装っていたのである。

私は、そのことを発表したかった。もっと端的にいえば、グレン隊の一味に成り果てた私が可哀想だったから、弁解をしたかったし、弁解を通じて、「新闘は、果して真実を伝えているだろうか」という、世の多くの人たちが感じはじめている疑問を、もっと的確に、改めて提起してみたかったのである。

そして、私は文芸春秋十月号に、「事件記者と犯罪の間」という、長文を書いた。

これには、いろいろの意味で、大きな反響があった。私の手許にも、未知、既知を問わず、多くの感想がよせられたのだった。

この一文の反響を知って、私はさらに、あの一文で提起した、「新聞」と「事件記者」との問題について、もっと書かねばならないと感じたのである。もっとより多く、より深く、新聞と新聞記者とを知ってもらいたいと考えたのである。

日本中で、毎日発行されている何千万部もの新聞について、読者はもっと正確な知識を持たな

ければならない。そうでなければ、あの〝活字の持つ魔力〟に、ひきずり廻される危険がある。