女医事件後日譚
ところが、この事件には後日譚がある。その年の夏、新婚旅行もしなかった私たち夫婦は、父
の墓参もかねて盛岡へ旅行した。
そのある日、せまい盛岡の道路で、バッタリと、〝女医〟先生の愛人に出会ってしまったのである。私は、署に相談にきたその伯父さんが、二人の仲を無理に割いて、岩手医大に転学させたということを知っていたので、顔をみた瞬間、「ア、彼女だ」と、即坐に気がついた。何しろ、彼女の先生への打込み方の凄いのを知っていた私は、こんなところで喰いつかれたら大変だと、足手まといの妻をつれていただけに、いささかあわてたものだった。
記事にする前に、すっかり取材を終えて、最後に先生にインタヴューにでかけた。デスクは心配して、先輩記者を一人つけてくれたのである。相手は医者だから、怒ったら硫酸ぐらいブッかけられるゾ、と、散々おどかされたので、医院の前にとめた車は、エンジンのかけっぱなし。
ドアもあけておいて、キャッといって逃げこんだら、即坐にスタートしてくれと、運転手とも打合せて、いよいよ乗りこんだ。出てきたのが彼女である。
名刺を出して、面会を求めると、先生が出てきた。タバコをくわえ、「何御用?」と、気安く玄関に立って。パチッとライターをすった。
その瞬間、ヴェテランのカメラマンは、ほとんど同時にフラッシュを輝やかせた。私たちは、
怒ったら飛び出そうと、ハッとして先生をみると、写真をうつされたのを気付いていないらしい。ライターの光とフラッシュとが完全にダブったのだ。
さて、いろいろ質問をはじめたところ、先生は「愛情の自由」を主張する。彼女も、側に坐って、うなずきながら相槌をうつ。
そして、この調子ならと、カメラマンがスピグラを構えたとみるや、彼女はサッと仁王立ちに先生の前に立ちはだかり、大喝一声。
『何をするのッ!』
その時の印象は、小柄な女性なのに、仁王立ちとか、大喝一声とかがピッタリするほどであった。
『アッ!』と叫んで、私たちが腰を浮かした時には、カメラマンは素ッ飛び出して、車でブブブッと逃げてしまった。
その彼女と、せまい道でバッタリだから、私があわてたのもムリはない。しかし、彼女はすぐには気付なかった。