日本陸軍の諸学校のうち・二つだけ地名を冠した学校があった」タグアーカイブ

迎えにきたジープ p.104-105 謀略とは奇異なものではない

迎えにきたジープ p.104-105 For bacterial warfare, typhus fever was not fully understood in terms of infection rate, morbidity rate, mortality rate, prognostic war potential, etc., because large-scale experiments were not possible.
迎えにきたジープ p.104-105 For bacterial warfare, typhus fever was not fully understood in terms of infection rate, morbidity rate, mortality rate, prognostic war potential, etc., because large-scale experiments were not possible.

諜者が帰還した場合には、その行動経過を厳重に調べるのが常識だから、日本側の諜者が逆用スパイになって帰ってきても、ほとんどが殺されてしまうように、乙処置で逆用スパイとな

った者も、たどる道は甲処置と同じ運命であろう。

保護院の観察の結果、体力、能力、精神状態などから、逆用スパイとしての利用はかえって危険であると判定された者には、さらに悲惨な将来が待っている。

ハルビン郊外の防疫給水部石井謀略部隊の実験材料だ。「実験用モルモット何匹」という請求伝票が、保護院に回ってくる。深夜、モルモットのように従順な乙処置の一群が、幌張りのトラックにのせられて、ハルビンの街を突ッ走るのだ。

日本陸軍の諸学校のうち、たった二つだけ地名を冠した学校があった。他はすべて歩兵学校などと、その内容を明らかにしていたが、諜報と謀略をやる東京の中野学校、毒ガスとガス壊疽など、細菌研究の千葉の習志野学校の二校だけがそれである。

勝村は中野出身だった。学生時代の戦史が想い出された。「十七世紀ナポレオンのロシヤ遠征敗退の主要な一因は、全軍に流行した発疹チフスの惨禍によるものである……」また細菌戦教程の一節「発疹チフスは寒帯病の一つにして、別名戦争チフスと呼ばれ、クリミヤ戦役その他の戦役に必らず現れる……」

また、「患血五CCを三百十人に接種したため、七—十五日間の潜伏期をもって、五十六%が発病、二十八%の死亡率を示したというトルコの狂医の実験結果があるも、戦陣の間に於て

は更に高率となり、敵戦力の低下に著効あり……」と。

臨床伝染病学としての発疹チフスは、殆ど完全に研究されていたが、軍陣医学、さらに細菌戦医学としては、大規模な実験が不可能なため、伝染率、発病率、死亡率、予後の戦力など充分には判っていなかったのである。

謀略とは決して奇異なものではないと教官が力説した。即ち最も自然な状態で、意図する結果を生じさせるのが謀略であるという。

『汽車だ! 汽車だ! 内地行きの汽車が出るぞォ!』

夢うつつの間に割れるような叫びが響いて勝村はフト眼を見開いた。周囲を見廻すと自分の身体は相変らず、あの悪臭満ちた二段の棚の間に横たわっている。身動きもできないほど詰めこまれていたのが幾分楽になっていた。

『この野郎、助かりやがったナ』

彼を覗きこんだ衛生下士官が叫んだ。

『見ろ! あらかたイかれて大分空いたろう』

少し前に息を引取った若い兵長の屍体が、全裸にされて解剖室に運ばれるところだった。ソ連軍医の実習材料として、捕虜の屍体は必らず解剖されるのだ。