清子未亡人は両肩をふるわしたまま、唇を噛みしめて、ついにその〝犯人〟の名を明かそうとはしない。
敗戦五年、勝利か死かと戦った我々、昭和二十年の八月に一生は終ったのだった。
然しお前や子供への愛にひかされて、煩悶しながらも生きてきた。敗戦将校の気持は複雑で深刻だ。
夫としての、親としての責任、愛。そうして五年すぎた。
だけど内訌五年、もう駄目だ。生きる自信も気力もない。
とても良い夫にもおやぢにもなれない。お前には済まない。永い年月、よくしてくれた。
それなのに、十余年苦労のかけ通し、そして最後には、この生きにくい世の中に子供を託してゆく。断腸だ。
辛いだろう。肩身もせまいだろう。だけど許してくれ。子供をたのむ。
おばあちゃん。うちで一番心の痛手と重荷を背負っているおばあちゃんへ、またこの上に何とも済みません。
憎んで下さい。だけど、清子と子供二人はどうかお願いします。
迪孝さん、秀ちゃん、可哀そうな清子と子供たち、お願いします。
清子、幸夫、みき子。
お父さんはだめだ。みなは新しい日本の人だ。苦しかろうが、幸福に、長生きして下さい
みんなで。
おばあちゃん。秀ちゃん、血の連った人達仲良くね。
残す資産も何もなく、ほんとうに済まない、清子!
僕はつまらぬ男だ。だけど、お前を愛していた。
浮世だ、お前だけはしっかりしてくれ。
清子未亡人の手に確りと握りしめられた数枚のノオトの切れ端し。今は亡き夫、元陸軍大佐大本営報道部高級部員佐々木克己氏の遺書である。
昭和二十五年十一月十九日朝、佐々木元大佐は、最後に妻の名を叫びながら、自ら命を絶って果てた。
簡単な遺書である。短かい言葉の行間にあふれた、無限の苦悩と無量の感慨とを汲みとるため、この遺書を、もう一度静かに読み返してみよう。