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赤い広場ー霞ヶ関 p.100-101 赤いマニキュアの派手で豪華な身なりのご婦人が

赤い広場ー霞ヶ関 p.100-101 There is a woman behind the crime. Similarly in the case of spy cases ...
赤い広場ー霞ヶ関 p.100-101 There is a woman behind the crime. Similarly in the case of spy cases …

はじめてスパイ事件を手がけた、当時の国警都本部では、まず小説や映画でしか知らなかった「スパイ」なるものを、現実の公安警察の対象として係官たちに教育しなければならなかった。

だが、ラ事件は二度目だ。三橋事件の〝戦訓〟もある。当局と米国側とのラ氏の身柄などについての特別な関係、政府の政治的利用などから、厳重な対新聞記者防諜命令が出て、新聞記者はまったくしてやられてしまった。ラ氏が失踪してから半年、この間に彼の自供は時々変り、しかもポツンポツンと事実を語った。そのたびに米側から警視庁に連絡がくる。公安調査庁の調査官も一緒に、その関係日本人のウラ付捜査のため、六、七月はテンテコ舞いをさせられた。レポ場所を望違鏡で見張ったり、毎日映画館に通って待合室にばかり坐ったり、しかも秘密は厳守を命ぜられた。

山本課長のラ氏取調べのアメリカ出張も、ある社の記者などはほんとに京都出張だと信じこんでいた。課長が出発したあと、木幡第一係長は全係官を集めて『課長のアメリカ行の真相がバレたら、一同マクラを並べて辞表だ』と訓示するほどの、防諜ぶりだった。

課長が八月一日に帰国して二週間、ラ氏の最後的供述による関係日本人の最後の捜査が行われて、十四日朝の家宅捜索、検挙、発表となった。

こんな騷ぎも一わたりすんだある午後のこと。公安三課の事務室に赤いマニキュアの、派手で豪華な身なりの三十前後のご婦人がいた。彼女が庶務係にでもいれば、戦争花嫁の一人が米国へ行くための、証明書をとりにきただけの話にすぎない。

だが、彼女は高毛礼氏のドル関係捜査に当っていた係で、しきりに何か説明していた。

犯罪のかげに女あり。スパイ事件も、金と酒と女が出てこなくては面白くない。ピンときた私は気長にネバって、彼女の帰りを待った。自動車を呼んで玄関に待たせた。折よく雨が降ってきた。

夜八時、待ったかいがあって、彼女は幾分とまどいしながら、おびえたように玄関の階段を降りてきた。

『雨が降ってます。お送りするようにとのことです。どうぞ……』

私は名前や身分を名乗らなかったが、またウソもいわなかった。彼女は、夜のヤミと、雨と冷たい階段と、取調べの不安と、疲労との中で、つとさしのべられた暖い手に、崩れるように何の疑いも持たずに取りすがってきた。

警視庁の正面玄関。横づけされた車――。私は彼女より一歩遅れて、立番する二人の制服警官にソッとお辞儀をした。休めの姿勢だった警官はサッと足をひきつけて挙手の答礼だ。