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正力松太郎の死の後にくるもの p.160-161 管財人に朝日広告社の中島隆之

正力松太郎の死の後にくるもの p.160-161 出版界の消息通は、声をひそめていう。「ナント、取次店の廻し手形は、あらかた朝日の広告部に入金されてましたよ」出版界の〝声なき声〟は「河出書房は朝日新聞にツブされた!」と
正力松太郎の死の後にくるもの p.160-161 出版界の消息通は、声をひそめていう。「ナント、取次店の廻し手形は、あらかた朝日の広告部に入金されてましたよ」出版界の〝声なき声〟は「河出書房は朝日新聞にツブされた!」と

だが、この会社は、総額五百億ほどの事業計画だけは樹っているのだが、船橋付近の漁業補償がまとまらず、まだ何も仕事をはじめていなかった。事務所も、河合社長の小松製作所ビルに移

って、時到らばと、村山夫人の利用を待っている。

——このとう本の物語る事実。ここに朝日新聞の体質の一部がのぞかれる。ついでにいうならば、河野一郎は農林省詰めの政治記者。緒方竹虎を筆頭に、篠田弘作、橋本登美三郎、志賀健次郎と、朝日出身の政治家は、みな保守党である。

さる四十三年六月二十一日の各紙は、河出書房に対し、東京地裁が会社更生法の適用を認める決定を行ったと報じた。その中の一行、管財人に朝日広告社専務の中島隆之が選ばれた、とあるのを見落してはいけない。

それよりすこし前、五月三十日付の朝日は「河出書房、また行詰る」という、大きな記事を出しているが、それについた「解説」の中に次のような部分がある。

「本の宣伝費は、売りあげの一〇%というのが常識になっているのに、河出の場合は、月間の売り上げ八億円に対して、広告と販売促進に三億円を使った、とさえいわれている」

この記事、まことにオカシイ。広告主が広告媒体をえらぶ時、効果を考えなかったらどうかしている。河出が新聞広告をするのに、スポーツ紙やエロ夕刊紙に重点をおいたとした ら、〝汚職〟の臭いがする、とみられても仕方ないだろう。河出の〝常識を無視した〟(前出朝日記事)広告出稿は、当然、朝日新聞に集中したとみるべきだろう。縮刷版を繰って、各社への出稿比率を調べるまでもあるまい。業界内部の常識である。

河出書房、三十二億円の負債で倒産となれば、その影響するところは大きい。六月一日、中小企業庁が、河出の下請け業者たちの連鎖倒産の防止措置として、百十社に対して「倒産関連保証適用企業」指定の決定を行なったことでも判る。これらの下請けの零細業者たちは、今まで河出の勘定をもらうのに、多くが河出自振りの手形で受取っているからだ。

振出人が河出書房の手形など、もはや反古同然である。どこで割引いてくれるだろう。だが、河出だって商売をしていたのだから、東販、日販などの大手取次店からの集金があるハズだ。取次店振出しの手形が、河出に入れば、河出が裏書きをして、また支払いに使う。このような「廻し手形」なら安全だから、業者たちは、河出の売り掛け金はどうなっている、と騒ぎ出した。

と、そこで、出版界の消息通は、声をひそめていう。

「ナント、取次店の廻し手形は、あらかた朝日の広告部に入金されてましたよ」

こうして、今や、出版界の〝声なき声〟は「河出書房は朝日新聞にツブされた!」と、エンサの叫びを放っている。常識を無視して誇大に新聞広告をやる、それで売る、また、広告する、そして売る——この悪循環の揚句の果ての倒産である。いみじくも、前出の朝日記事はいう。

「河出が全集物を昨年たてつづけに出しはじめたとき、業界ではこれを自転車操業のはしりとみて、すでに今日の危機を予想していたといわれる」

業界で予想していたのなら、広告代理店も、新聞社側も知らぬハズはあるまい。広告を掲載

し、料金はガッチリ取り立てる——商売は、トランプのババヌキみたいなもの、とはいいな がら、このトッポさ。朝日新聞広告部は、中身にヤカマしいだけではなかった。

正力松太郎の死の後にくるもの p.168-169 「朝日文化人」(酒井寅吉)の推せん文

正力松太郎の死の後にくるもの p.168-169 いまだに朝日新聞客員という待遇を得ている、自民党代議士橋本登美三郎ともなれば、「今日、朝日を憂えることは、日本を憂えることに通じる。その意味で、この本はまさに憂国の書」と、エキサイトしてくるのも当然であろう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.168-169 いまだに朝日新聞客員という待遇を得ている、自民党代議士橋本登美三郎ともなれば、「今日、朝日を憂えることは、日本を憂えることに通じる。その意味で、この本はまさに憂国の書」と、エキサイトしてくるのも当然であろう。

昭和三十五年以降の銀行資料によると、朝日の株主持株比率は、村山、上野両家で六割を占め、その間、全く変動がないのである。ところが、読売では、大株主の正力厚生会や、正力松太郎個人の、持株比率が毎年のように動いているのである。これは、読売社内に反正力派がいないことを物語る。正力一族の経営参加で、如何様にも持株を操作できるのだ。朝日では、「反村山派」

がいるので、そのようなサジ加減ができない。だから、村山家四名、上野家二名の持株は、微動だにしない。

こうして、全社員九千四百三十三名(昭和四十二年十一月名簿)に及ぶ、大集団の人間関係は、極めて複雑なものとなってくるのである。何故、複雑怪奇になってくるかといえば、東京閥、大阪閥(これは毎日とて同じである。西から東にきた新聞の持つ宿命である。発祥の地と、政治経済の中心との対立である)、それに加えて、硬派新聞(政経中心)の、硬派、軟派閥の対立があり、さらに加えて、反村山派という〝民族問題〟があるのだった。

単一民族の単一国家である日本には、米国のような民族問題の悩みがない。読売がそれである。正力一本である。毎日は、東西の対立こそあれ、朝日のように、反村山という、根源的な対立拮抗の要因がないので、権力の推移が明快単純で、暗さがない。

かつて、読売が立正佼成会に対して、糾弾のキャンペーンを、展開したことがあった。昭和三十一年のことである。このキャンペーンは、見るべき成果をあげることなく、長沼妙佼教祖の過去が、宿場町の娼婦であったということで、お茶を濁して転進せざるを得なかったのである。

この時の教訓は、宗教団体というのは、外部からの圧力には、内部問題はタナあげにして団結し、徹底して組織自体を守るということであった。歴史にまつまでもなく、宗教団体は、内部崩壊以外では倒れない。つまり、読売のキャンペーンが、偶発的にスタートしたもので、十分な内

偵と準備とをしていなかったから、内部に腐敗がありながら、いわば佼成会に〝団結の勝利〟を謳わせる結果となったのであった。

朝日の強さもここにある。長い社の歴史の間に培われた、「大朝日」意識は、もはや信仰に近い形で、全朝日新聞社員の中に、根を下ろし切っているのである。伝統である。

それだから、いまだに朝日新聞客員という待遇を得ている、自民党代議士橋本登美三郎ともなれば、「朝日文化人」(酒井寅吉)という本の推せん文を書くに当って、「今日、朝日を憂えることは、日本を憂えることに通じる。その意味で、この本はまさに憂国の書」と、エキサイトしてくるのも当然であろう。

一体、この信仰に近い形にまで高められ、定着した「大朝日」意識とは何であろうか。やはり、昨日、今日の成り上りとは違った、伝統と実績の然らしむるところであろう。細川隆元(注。大正十二年入社、政治部長、ニューヨーク支局長を経て、終戦時の東京編集局長、昭和二十二年、編集局参与で立候補のため退社。現社友)によれば、大正十二年四月入社組が、日本の新聞の最初の試験入社組で、約二百五十人の受験者から十五人が採用されたという。そして、こののち試験入社組は、「練習生」と呼ばれて、朝日の人脈の中心となるのだ。「月給は普通採用の者より十円も多く(注。七十五円)、社内でもあまりコキ使ってはならぬといわれている。君たちが朝日の幹部になるんだからネといわれた」という。(「朝日新聞外史」)