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読売梁山泊の記者たち p.026-027 〝政敵〟はいなくなった

読売梁山泊の記者たち p.026-027 〈王道〉を進む渡辺なら、一期だけでも、小林を会長、正力を社長にするのが、人間の道として当然、と考えていた。だが、渡辺は、覇道をまっしぐらに突き進んだ。
読売梁山泊の記者たち p.026-027 〈王道〉を進む渡辺なら、一期だけでも、小林を会長、正力を社長にするのが、人間の道として当然、と考えていた。だが、渡辺は、覇道をまっしぐらに突き進んだ。

それよりも、大きな衝撃を受けたのは、平成三年六月四日の務臺光雄・社葬の際、葬儀委員長・小

林与三次、同副委員長・渡辺読売社長、同・坂田源吾大阪読売社長の三名が、先頭に立つのは当然として、「社主・正力亨」が、十二、三番目にひとりショボンと、うなだれて立っているのを、目撃した時であった。

平成三年六月二十五日掲載の、株主総会後の人事記事でも、「取締役社主・正力亨」は、トップに出ている。その正力を、誰ひとりとして上席に案内しないのは、ナゼなのだろう。他の役員や幹部社員たちは、渡辺の眼の前で正力に近寄るのさえ、恐れているのではないのか。

もし、そうであるならば、これはもう〈恐怖政治〉である。

覇道である——大・正力松太郎の特別のコネで「出版局嘱託」として、読売に採用してもらった。恩義に対する、人の世の礼節に反する。

いま、読売社内では、部長以上は、渡辺に〝忠誠誓約書〟を提出させられている、と、まことしやかに囁かれている。

かつて、政治部記者時代、先輩の磯部忠男、三品鼎と対立し、若手を集めて派閥を形成したことがあった。その時、編集局長・原四郎は、三品を管理部門に出し、渡辺をワシントン支局に出した。外形的事実を見る限り、渡辺は磯部・三品に〝勝っ〟た。

大下のインタビューに、渡辺は、この政治部内の派閥闘争について「原さんはまた、ぼくを好きじゃなかっただろうけれど、いまぽくは、原さんとは非常に仲がいいですよ」と、答えている。

その原は、副社長から監査役を二期ぐらいやって、顧問一年ぐらいで、読売と縁がきれている。こ

れもまた、非情な待遇で、忘恩といえよう。

氏家と丸山は、週刊誌がバクロしたスキャンダルで失脚した。報知社長の深見和夫は病死し、竹井博友は、光進の小谷で失脚した。主だった〝政敵〟は、すべていなくなったのである。

竹井の〝事件〟が問題となりはじめたころ、「旨くいけば修正申告で終わり」「悪くても在宅起訴」というのが、司法記者たちの〝情報〟であった。

私は、竹井に手紙を書いて、「慎重に過ごされ、当局に恭順の意を表すること。読売関係の役職は辞任しないように」と、いってやった。竹井は、販売店の店舗を握っている読売不動産の社長であったから、これが〝抑止力〟になると考えていた。

さらに、〈王道〉を進む渡辺なら、一期だけでも、小林を会長、正力を社長にするのが、人間の道として当然、と考えていたから、竹井に〝抑止力〟を期待したのだった。

だが、渡辺は、覇道をまっしぐらに突き進んだ。四月三十日の務臺の死のあと、五月一日に社長に就任した。

ナゼ、こうも急いだのか?  正力家を意識したのであった。氏家や丸山が正力をバックアップして、自分たちの復権と同時に、〝王政復古〟の動きになることを、恐れたに違いない。

大阪の坂田、日テレの佐々木などは恐れるに足りない。ともに今期限りで追い出せる。深見、原は亡く、氏家、丸山だけのマークで十分だ、という計算であったろう。

報知の内田、販売の片柳、ともに社会部出身。それぞれに、その下に渡辺の腹心を配置して、これ

また今期限りだろう。読売ランドもまた然り。