濁った小便と・赤い下痢便が・あふれ流れ出し」タグアーカイブ

迎えにきたジープ p.098-099 捕虜たちは働いていなかった

迎えにきたジープ p.098-099 At the POW camp...A corpse piled up like mountain. A frozen corpse. Tangling hands and feet, bumping noses and ears. Swipe up the fingers and ears scattered on the ground and put them in the sled.
迎えにきたジープ p.098-099 At the POW camp…A corpse piled up like mountain. A frozen corpse. Tangling hands and feet, bumping noses and ears. Swipe up the fingers and ears scattered on the ground and put them in the sled.

捕虜たちがスターリンの五カ年計画による採炭定量(ノルマ)を遂行するため、この炭坑で働らかされることは当然であったが、収容所は堅く門を閉ぢ、鉄条網の外周には絶えず動哨(コンボイ)が警戒し、望楼には全身を毛皮外套(シューバー)に包んだ歩哨(チサボイ)が佇立していて、何人も近寄れなかった。

捕虜たちは全く働らいていなかった。〝働らかざるものは食うべからず〟という、社会主義の原則は〝人類の平和と幸福のシンボル〟という赤旗をかざす、ソ連当局の寬大さによって、捕虜たちに適用されなかったのであろうか。はたまた、すでに零下五十二度という酷寒を寒暖計に記録し、さらに風速一米で一度下る体感温度が、捕虜たちに苛酷であるという思いやりのためなのだろうか。

ア、兵舍から人影が現れた。一人、二人……かたつむりのような緩慢さで、二十名の一隊が収容所の外へ出て付近の丘に登っていった。長い時間をかけて、のめるような歩みを続けたのち彼らは目的地に着いたらしい。

彼らはそこに崩れ坐った。警戒兵の抱えた自動小銃と、射ち殺さんばかりの怒声とで、彼らは携えてきた鉄棒を力なく堅い堅い氷と凍土に打ち突けはじめた。……墓穴を掘ろうというのである。

数日ののちに、また数名の一隊が現れた。この連中は大きなソリを引いていた。床板もない

掘立小屋の戸が開かれる。地べたに山とつまれた屍体は時々整理しなければならない。命令で肌着も下帯も剥ぎとられて、むきだしのまま、洗濯板のように突張った胸、えぐったように陥没した腹。おがらのような手足が、臨終の苦悩をそのまま虚空に描いて、カンカンに凍った屍体。

銃剣にせかされて下の方の奴を引張ると、ガラガラと音をたてて薪束のように崩れおちてくる。もつれあう手と足、ぶつかりあう鼻と耳。無表情に手当り次第にソリに積みあげる。その後で液体空気で凍らせた金魚を叩きつけたように、地面に散乱している指や耳のかけらをはき集めて、ソリの中にあけてやるのだ。

このように、僅かな人々が時たま出入りするほかは、四千名もいるというのに、収容所全体が死んだように静まり返っている。

だが、一歩兵舍の中に足を踏み入れてみよう。採光も換気も、暖房すら充分でない兵隊屋敷だ。捕虜たちは起ち上る空間すらなく、お蚕棚のように二段になって、身を横たえたままビッシリと詰めこまれていた。

中廊下に置かれた味噌の空樽からは、濁った小便と赤い下痢便があふれて流れ出し、建物中の不潔臭が、発熱患者の体臭にむされて、堪え難い悪臭となって立ちこめている。

迎えにきたジープ p.100-101 虱を絶やすため全身の剃毛

迎えにきたジープ p.100-101 It was quite natural that the POWs did not work. They can't work. The prisoners were groaning to death after being attacked by a plague called "typhus fever".
迎えにきたジープ p.100-101 It was quite natural that the POWs did not work. They can’t work. The prisoners were groaning to death after being attacked by a plague called “typhus fever”.

中廊下に置かれた味噌の空樽からは、濁った小便と赤い下痢便があふれて流れ出し、建物中の不潔臭が、発熱患者の体臭にむされて、堪え難い悪臭となって立ちこめている。

しかも、絶望的な叫びが響き、ボソボソと呟くうわ言と、鈍い動作で這いずり廻る気配とが一緒くたになって、騷然となっているではないか。

捕虜たちが働らかないのも、全く当然であった。働らけないのである。捕虜たちは、〝発疹チフス〟という疫病に襲われて、死の淵に呻吟しているのだった。

勝村良太は自分の順番が来るのを待ちながら、放心したように浴場(バーニャ)の脱衣場に立って、向う側の建物の窓を眺めていた。

収容所の一隅には、厳重に鉄条網で囲まれた二棟の立派な建物があって、司令部(シュタップ)と呼ばれていた。平常はあまり近付く機会もないその建物の窓に、さっきからしきりに白い影が動いている。

——ああ、白衣を着たロスだな。チフスに満足な防疫もしない癖に、何を研究しているのだ。

フト前の方で騒がしい声が起った。

『ナ、何故こんなことをするんじゃ。身体中の毛を剃ってしもうたら、遺族に何の遺品を届けるのじゃ。見い。わしはこのように部下の遺髪を持っとる。これがわしの務めだ』

一年志願上りの老中尉が、立会の日本軍医に懸命に喰ってかかっていた。

『エエ、止めい、止めろ。わしが大隊長殿にかけ合うて来る』

発病している。狂気のように荒れる老中尉に衛生兵が組みついた。顔面はすでに紅潮し、眼は赤く血走っている。高年者の特徴として、発病と同時に脳症を起したに違いない。

虱を絶やすため、一切の体毛を剃ろうというのに、遺髪がとれなくなるから止めろという話は全くナンセンスだった。発疹チフスの特性は、この脳背髄、神経系統の血行障害による悲惨な脳症状だ。

捕虜たちは自分で恥毛や脇毛に石鹸をこすりつけて、衛生兵の前に並ばねばならなかった。慢性飢餓による栄養不良と、厳寒のための不潔からチフスが蔓延しているというのに、全くのところ適切な防疫手段は何も講じられていなかった。予防接種は極く一部にしか行われず、治療薬品も殆ど渡らなかった。

不完全な蒸気消毒車が一台動員されただけである。重症者も軽症者も全裸にされて、衣服を蒸されたが、服がビショビショになったため、次々と肺炎を起して死んで行った。輸血は無検査で行われ、生命は取止めたが、身に覚えのない梅毒やマラリヤを背負わされた。あとはただ全身の剃毛だ。

『ヘン、今更毛なんぞ剃ったって追っつきゃしねえや。なぜロスは薬をくれねえんだ』

『畜生! どうせ死ぬものなら、一度でいいから腹一杯喰ってから死にてえもんだ』