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雑誌『キング』p.23上段 シベリア抑留実記 労働の程度 

雑誌『キング』昭和23年2月号 p.23 上段 労働の程度
雑誌『キング』昭和23年2月号 p.23 上段 労働の程度

たけれど砂糖が定量十五グラムとして給與された。しかし栄養失調やら衰弱死などで分かる通り、決して充分なものではなかったが、ソ連としては精一杯の優遇をしたとみることができる。しかし脂肪分の少ないのと、調味料が岩塩だけだったこと、および野菜がなかったのが苦しかった。

病棟炊事は一般の炊事よりはるかに質的によい糧秣を受領し、主食は米をほとんど切らさなかったが、薄い粥であり、すべて量が少ないのが患者の頭痛の種であったろう。

イラスト(バザール風景)

労働の程度

在ソ同胞の作業は、炭坑、森林伐採、鉄道工事、道路建設、建築、港湾、さらに特技者の工場等重要産業、すなわち新五カ年計画遂行へ全面的に参加させられている。中でも森林伐採など

雑誌『キング』p.22下段 シベリア抑留実記 収容所生活

雑誌『キング』昭和23年2月号 p.22 下段
雑誌『キング』昭和23年2月号 p.22 下段

て一週間分くらいで、どんなに倹約しても二週間しか保たず、給與される茶や石鹸、土中に埋めておいた被服類を地方人にやったり、自分のパンをやって喫わないものからもらったりしていた。

炊事は一般と病棟側と二つあり、ソ側の主計からこちらの主計が糧秣を受領調理したが、主食はほとんど高粱か粟で燕麦や豆だけのこともあり米をくれたこともあった。これを軟らかい粥に炊き食べるのだが、徹底的な偏食で高粱なら高粱ばかりであり、三食が朝は魚の炊きこみ、昼は魚、夜はスープと判で押したようにいつも同じであった。

穀類はほとんど満洲から持ってきたものであり、魚はおおむね樺太から運んだものだったが、中には昭和二年製の肥料鰊まであった。この他に黒パンが一日三百グラム前後、炭鉱作業者は七百グラム前後あり、去年の十一月以来は、毎日、甘くない甜菜糖ではあっ