真実を伝える」タグアーカイブ

黒幕・政商たち p.004-005 preface まえがき

黒幕・政商たち p.004-005 preface まえがき
黒幕・政商たち p.004-005 preface まえがき

まえがき

昭和三十年の夏、当時、読売新聞社会部の外事・公安担当記者であった私は、戦後十年の裏面史として、貯めこんだ取材メモを材料に、「東京コンフィデンシャル・シリーズ」という、二冊の著書をまとめた。

四部作の予定が、二冊に終わったのだが『迎えにきたジープ』『赤い広場—霞ヶ関』という、既刊のその本のあとがきに、

「真実を伝えるということは難しい。…しかし、真実の追及という、この著での私の根本的な執筆態度は認めて頂きたい。
真実を伝えるということは、また同時に勇気がいることである。…私も本音を吐くならば、この著を公にすることはコワイのである。不安や恐怖を感ずるのである。だから、何も今更波風を立てなくとも、といった卑怯な妥協も頭に浮かんでくる。しかし、『真実を伝える』ということのため、私は勇気を奮って、関係者の名前を実名で登場させたのである」

と、書いた。

その当時から、また十余年——。

戦後史。この激動の二十年をまとめるべき時がきているようである。そして私は、読売を退社してフリーになるという、身辺上の変化はあったけれども、相変わらずペンを握って、〝現代史の目撃者〟たることをつづけてきた。

「報道・言論の自由」は、国民の「知る権利」の代理行使として、その「自由」の意義があるのである。

戦後二十年とはいえないが、ここ数年の間に現象化してきた、あの事件、この事件。それらの事件の本質を見極めるには、少なくとも、マッカーサーがコーン・パイプ片手に、厚木飛行場に降り立った時点からの、ひそやかな底流に、眼を注がねばならない。

私たちは、ともすれば、事件という現象の動きに、流れに、そして華やかさに、眼を奪われて、その本質を、見誤る恐れがある。この〝眼を奪う〟ものが、マスコミの伝える「虚像」である。虚像に狎れて、真実を見失うのである。しかし、しっかりと真実を踏まえて、虚像に酔おうというのならば、それもまた可なり、である。

戦後の一連の汚職事件、昭電、造船にはじまり、最近の日通にいたるまで、そしてまた佐藤三選のカゲの動きなど、やはり〝底流〟に眼をそそがねばならない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.222-223 日本の戦後十年史の一断面

赤い広場ー霞ヶ関 p.222-223 This "Red-Kasumigaseki" reveals that the "hidden world" is not a fiction, but a real world, moving around a well-known influential person.
赤い広場ー霞ヶ関 p.222-223 This “Red-Kasumigaseki” reveals that the “hidden world” is not a fiction, but a real world, moving around a well-known influential person.

「真実」を伝えるということは、また同時に勇気がいることである。それによって不利益を受ける人たちの反撃は、実際に恐いのである。私も本音を吐くならば、この著を公けにするこ

とはコワイのである。不安や恐怖を感ずるのである。だから、何も今更波風を立てなくとも、といった卑怯な妥協も頭に浮んでくる。しかし、「真実を伝える」ということのため、私は勇気を奮って関係者の名前を実名で登場させたのである。御迷惑をおかけした向もあることと思うが、私の微衷を汲まれ、御寬恕あらんことをお願いする次第である。

戦後の十年。この十年間ほど、日本が激しく大きく揺れたことはないだろう。そして、私はその十年間に新聞記者として育ち、いろいろのことを見聞きしては、丹念にメモと資料とを貯めこんできたのだった。そして、私にとって幸いだったのは、私は一貫して公安関係(左翼、右翼、外事)の取材を担当できたことであった。その意味では、この著は日本の戦後十年史の一断面でもある。

敗戦という始めての経験に引きつづき、外国軍隊の占領、自由世界との講和と、共産世界との休戦という、事実上の「半独立」をも味わうなど、国際的な訓練の全くなかった日本民族は、この十年間に、或は本土で占領軍に阿ユ迎合したり、反抗したり、或はまた外地で捕虜となったりして、投獄され、忠誠を誓い、混血児を生むなど、男も女も数限りない辛惨をなめてきたのであった。——そして、日本民族は成長した。国際的鍛錬を受けたのである。

民族としての優秀性を信じ、民族としての誇りを取戻したわれわれは、平和を愛する国際人

として、世界に対して、新しい眼を見開きつつあるのだ。しかし、その希望に燃えあがる瞳に、まださえぎられたままでいる、〝隠された世界〟がある。

諜報と謀略の世界である。われわれが、自由と平和とを、こよなく愛する国民として、国際人として、明るく生きてゆくためには、この〝隠された世界〟までを見通す、叡智と聰明さとを必要とする。

この「赤い広場—霞ヶ関」は、その〝隠された世界〟が、決して絵空事ではなく、誰もが知っている知名人の身辺で、現実に動いているのだということを、明らかにしたものである。

しかもそれは、米英ソ、国府と中共、南北鮮といった、対立する二つの世界がそれぞれに入り乱れており、ただ単に動いているばかりでなく、それぞれの国に有利な情勢を作りだすために、日夜を分たず必死になっている姿を、読者に良く理解して頂きたいのである。

他の印刷物の引用の多いことが、私自身でも眼障りであるが、これは、「真実」を伝えるため、私自身が確かめ得なかったことを、一般的に信じ得る刊行物に拠ったためである。この全文は、私が確認した事実と、いわゆる〝信ずべき筋〟の資料と、何の関係もないようにポツンポツンと現われてくる現象とによって、成り立っている。ウソも誇張もない。

この集を手にされた方は、是非、第一集「迎えにきたジープ」も、読んで頂きたい。この日

ソ交渉にいたる経過は、終戦時のシベリヤにさかのぼらねば、本当に理解できないのだから。