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読売梁山泊の記者たち p.056-057 雨の日のサイドカーという教訓

読売梁山泊の記者たち p.056-057 「フーン」と、その男はいった。つづいて、「オイ、サイドカー出してやれ」と、配車係に命じた。男のサイドカーという声に、一瞬、緊張感がみなぎり、話し声がピタッと、止まった。
読売梁山泊の記者たち p.056-057 「フーン」と、その男はいった。つづいて、「オイ、サイドカー出してやれ」と、配車係に命じた。男のサイドカーという声に、一瞬、緊張感がみなぎり、話し声がピタッと、止まった。

「東大? 何しに行くんだ?」

部長席の男が、口をはさんだ。前述したように、社会部では、部長が不在なら、ヒラでも部長席に座って、机上に足を投げだすようなフンイキである。

その〝キザなジジイ〟が、部長とは知らずに、法医解剖なんて分かりゃしないサ、と思いながらも、横柄な口の利き方や、年齢が上のことも考えて、私は、「被害者が東大と慶大の法医で、司法解剖に付されるンです」と、やや、ブッキラボーに答えた。

「フーン」と、その男はいった。つづいて、「オイ、サイドカー出してやれ」と、配車係に命じた。社員の運転手たちが、オシャベリをして、大勢、待機中だというのに、男のサイドカーという声に、一瞬、緊張感がみなぎり、話し声がピタッと、止まった。

その日は、雨降りだった——オートバイの運転手は、ゴムの合羽の完全武装だが、私はサイドカーの座席で、コーモリ傘をすぼめてビショ濡れであった。

「あの人、部長なの?」「エエ」

「ナールホド、あれが、コシケン(越賢)なのか」

「あのネ、自動車にきて、部長がいる時は、キチンと挨拶しないと、こうして〝反動〟取られるョ」

この、雨の日のサイドカー、という教訓は、私にとって、「オレは新聞記者だ」という思い上がりを、ペチャンコにしてくれた。これ以来、私は〈外柔内剛〉の記者魂を、植えつけられたと思う。

それ以来、私はコシケンを認めると、「部長! 下山事件(下山国鉄総裁が行方不明となり、轢殺死

体で発見された)は、どうでしょうか」「ウン、あれは他殺さ」「やっぱりそうですか」と、警視庁記者OBに、必ず敬意を払う。たちまち、私は〝コシケンズ・ペット〟になって、いつも、いい車に、いい運転手をつけてもらう。

多分、昭和二十年代後半、のことだったろう。編集局長名で、政治、経済、社会の三部の、各記者の自動車使用状況と、提稿本数の調査があった。そして、自動車料金をハイヤー料金に換算した。

トップは、経済部から政治部へ移った、広田豪佐という、名前の通りの〝豪傑〟で、どこかの家に入ったら、五時間、十時間ぐらい待たせるのは、平気の平左。しかも、原稿はほとんど書かない、という人物であった。この人も、早逝してしまった。

私も、社会部では、自動車の使用時間は、ベスト3に入るくらいだったが、部長のコシケンはもちろん、配車係からも、運転手自身からも、文句のひとつも出たことはない。

帝銀事件、半陰陽、そして白亜の恋

話をもとに戻して、サイドカーで東大に着いた私は、かねて、話を通してあった、東大法医学教室のM助手の手引きで、司法解剖の現場に入ることができた。

関係からいえば、私の従兄にあたるのだが、法医の大先達の三田定則と、その一番弟子で私の義兄になる、上野正吉北大教授の名前で、M助手は便宜を図ってくれたのだった。

十六歳、二十二歳、二十八歳という、女性の肉体の大きな変化の時期に当たる、三体が同時に執刀 された。執刀医と助手の記録係とがいる。着衣を脱がされて、全裸になる。

読売梁山泊の記者たち p.058-059 三体が同時に解剖されている

読売梁山泊の記者たち p.058-059 サイドカーを運転していた小泉悦三は、若手のボス格だった。解剖を、最後まで見通した私の肝ッ玉と、堂々と〝潜入〟した私の顔とが、小泉によって、自動車部に喧伝された
読売梁山泊の記者たち p.058-059 サイドカーを運転していた小泉悦三は、若手のボス格だった。解剖を、最後まで見通した私の肝ッ玉と、堂々と〝潜入〟した私の顔とが、小泉によって、自動車部に喧伝された

十六歳、二十二歳、二十八歳という、女性の肉体の大きな変化の時期に当たる、三体が同時に執刀

された。執刀医と助手の記録係とがいる。着衣を脱がされて、全裸になる。

青酸カリによる死亡だから、苦悶の姿のまま、硬直している。執刀医が、全身を調べて「外傷ナシ」というと、記録係が、「外傷ナシ」と復唱して、記入する。

次は、ガラス棒を膣内に入れて、検体を採る。外陰部も調べ、検体をプレパラートにのせて、顕微鏡を覗く。精液が認められない。

「暴行ノ形跡ナシ」

次は、髪を前半分、顔面におろして、耳から耳へ、頭皮を切り、髪を引ッ張ると、頭皮はスルスルとめくれる。後半分も、同じようにおろすと、頭蓋骨が出る。

耳の上の部分、両側にノコで切れ目を入れて、ポンポンと軽く叩くと、頭骨が上半分脱れて、脳が露出する。それを、全部取り出してから、また、頭骨をあてがい、アゴのあたりの髪を軽くもどすと、スルスルと戻っていって、顔が見える。頭皮を縫合して、髪をすくと、元通りになる。

ノド仏のあたりから、真直ぐ、胸、腹、ヘソをクルリと避けて、大陰唇の縫合部あたりまで、メスで、まず、皮膚を切る。

皮膚、脂肪、筋肉と、メスを換えながら切開する。胸骨も、バリバリと切る。と、ドテラをはだけたように、内臓が露出する。肺や胃や、子宮などを摘出して、中身を調べる。

内臓を取り出したあと、然るべきものを詰めてから、縫合する。タタミ針のような針で大ざっぱに縫う。血が若干、白い肌に付着している。それを、当時、東大法医学教室の名物男だった、〝ノートル

ダムのせむし男(フランス映画の題名)〟のような男が、バケツの水をかけて洗い流す。

そしてまた、着衣をつけさせて、台上からお棺に移す時、もう、硬直がとけて、イヤイヤをしているように、両腕を振るのが印象的だった。

二、三メートルの距離で、三体が同時に解剖されている——まさに〈人体生理の秘密〉を目のあたりにして、私は、サイドカーで雨に打たれたことなど、まったく、忘れ去って感動に佇立しつづけていた。

この時、サイドカーを運転していた小泉悦三は、若手のボス格だったが、もう、途中で退室してしまっていた。解剖を、最後まで見通した私の肝ッ玉と、堂々と〝潜入〟した私の顔とが、小泉によって、自動車部に喧伝されたことも、私が、コシケンに可愛がられるにいたった、理由のひとつでもあるだろう。

母親が病死したあと、幼い弟妹の面倒を見ていた健気な少女が、父親に犯されて、猫イラズで自殺した事件があった。

その少女は、読売の人生案内に投書して、回答者の真杉静枝女史(作家)が、それを読んだ時は、すでに手遅れで、「イヤらしい父親」(回答の見出し)の段階から、破局へと進んでいたのだった。

その取材を、私が担当した縁で、真杉女史と親しくなり、たまたま、解剖の話になって案内することになった。男と女と、二件の解剖を見たあとで、女史はポツンといった。