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編集長ひとり語り第56回 アメリカ同時テロのこと…

編集長ひとり語り第56回 アメリカ同時テロのこと… 平成13年(2001)9月29日 画像は三田和夫51歳(中央 1972.12.18)
編集長ひとり語り第56回 アメリカ同時テロのこと… 平成13年(2001)9月29日 画像は三田和夫51歳(中央 1972.12.18)

■□■アメリカ同時テロのこと…■□■第56回■□■ 平成13年9月29日

あの“惨劇の日”から3日過ぎた14日。ワシントンに集まった20万人の人達が祈りの日を持った。それからもう2週間も経ち、全米各地でそれぞれに祈りの日が持たれた。だが、私には、14日のワシントンほど強烈な印象を与えられた情景はない。

というのは、14日のテレビには、「NO WAR」と大書されたビラが映し出されていたからである。そしてビラはこの1枚だけであった。カメラは横にパンしていたが、私の記憶が正しければ、この1枚だけで、それだけに強烈な印象を与えられたのだった。

私達の英語常識からいえば、NOは否定のNOであり、WARは名詞の戦争であり、それ以上でもそれ以下でもない。

なぜ、こんなことをまわりくどく書くのかといえば、それほど、このテロの後の祈りの場で、このビラの与える訴える力は、はかりしれないほどの、人々の心への影響が強大なものだったに違いないと思われるからである。

現在までの米側の反応を見れば、当然“いわゆる戦争”になることが予想される。それを人間の知恵が、どう避けて通れるのだろうか。14日の段階で、すでにそう予測されるから、あのビラが出たのだし、あれを掲げることを、カメラも、その他主催者も認めたのだろう。

しかし、報復が報復を呼ばない、どんな“妙手”があるのだろうか…。誰もが思いつかないのだから、この「NO WAR」が効いてくる…。

これがもし、日米があらゆる立場を交代して、日本での追悼集会の場であったらどうだったろうか。想像するだけでも不快感がコミあげてきて、寒気がするほどである。

「ノー・ウォー」このわずかツーシラブルの簡明で粗野な言葉が持つ、深い大きい意義について、次回は語ろう。 平成13年9月29日