著者の経歴紹介は、読者にその文章に判断の根拠を与えるもの、でなければならない。フリーの新聞記者という職業がない日本のことだから、社名のない「新聞記者」という表現は、事実をまげてお提灯を書くための考慮であろうか。朝日新聞とは、このような群小〝記者〟に、朝日コンプレックスを抱かせる新聞なのである。
封建制に守られる〝大朝日〟
佐藤信「朝日新聞の内幕」「新聞を批判する」の二著は、これまた、私に非常な興味を抱かせた。社歴十八年、昭和四十年に調査部員に配転された、社会部、学芸部のベテラン記者だった著者は、これを〝侮辱〟と判断して、辞表を郵送して退社した。
だが、会ってみると、彼は依然として〝朝日人〟であり、その一流意識には、いささかの乱れもない。口を極めて、朝日新聞の先輩や同僚を罵るその著書の内容からは、想像もできないことである。朝日新聞の紙面について語る彼の印象は、私にとっては、〝現役の大朝日 記者〟であった。何故かならば、「紙面の勝負」に生きつづけてきた新聞記者であるならば、社の如何を問わ
ずに、「紙面」に対する批判は、常に徹底していたからだ。
群小〝新聞記者〟を常に支配する朝日コンプレックスと、元〝朝日記者〟の脱皮することのできないエリート意識——この対照の妙はその著書の極端に対照的な内容と相俟って、朝日新聞の現実の姿を浮彫りにしてくれる。
朝日は〝村山家の朝日〟であった。この点は、読売が〝正力の読売〟であるのと、全く同じである。これに比べて、毎日は強力な資本家を持たず、常に、サラリーマン重役によって、右往左往してきたという、体質の差があった。
戦後の朝日と読売の共通点はそればかりではないのだ。長谷部忠・馬場恒吾の代理社長の時期を持ち、それぞれにストライキを経験した。だが、毎日にはストによるお家騒動の体験がない。
けれども、朝日と読売とが、体質的に違う点は、朝日には、編集、業務を通じて、村山派と反村山派があるが、読売には、正力派直系と非直系派とはあっても、反正力派というのがないということである。
昭和三十五年以降の銀行資料によると、朝日の株主持株比率は、村山、上野両家で六割を占め、その間、全く変動がないのである。ところが、読売では、大株主の正力厚生会や、正力松太郎個人の、持株比率が毎年のように動いているのである。これは、読売社内に反正力派がいないことを物語る。正力一族の経営参加で、如何様にも持株を操作できるのだ。朝日では、「反村山派」
がいるので、そのようなサジ加減ができない。だから、村山家四名、上野家二名の持株は、微動だにしない。