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赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 庄司対日暮、吉野対志位、都倉対菅原

赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 Those evaluated by Rastvorov betrayed Rastvolov and cooperated with police authorities. But, those he says badly are uncooperative with police. So are they really Soviet spies?
赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 Those evaluated by Rastvorov betrayed Rastvolov and cooperated with police authorities. But, those he says badly are uncooperative with police. So are they really Soviet spies?

これは都倉氏にとって極めて名誉なことである。ラ氏の口から、都倉氏の名前が出されたので、捜査当局では直ちに彼について調べてみた。この捜査は、ラ自供が真実なりや否やの、裏付け捜査だから当然のことである。ラ氏がスパイではないというものを、警視庁へ召喚して取調べることはできない。だからまず彼の抑留間のことと、帰国後のこと、そしてさらに、当局が彼の名を知ってから以後のことである。

そのため、同収容所の人たちにきき、さらに現在の部分は尾行してみた。その調べによると在ソ間の彼の行動については、幻兵団としてスパイ誓約をさせられたことは、まず間違いのない事実だという。

尾行、張り込みなどの身辺捜査からは、残念ながらラ自供の額面通りの、あまり良い結果は出なかったらしい。通商使節団のクルーピン氏らの、滞日期限延長問題などにからんで、当局では何らかの結論をつかんだようであった。

当局のアナリストはこう考えた。

――庄司対日暮、吉野対志位、この二組に共通したものは、ラストヴォロフの評価の高い者が簡単に当局の捜査に協力し、彼の評価の低い者が、非協力的だということである。

――都倉氏もまた、スパイにならなかったといって、けなしている。評価は低い。

――けなされた者は、庄司氏と吉野氏だ。そして、都倉氏だ。

アナリストは、そう考えこみながら、机上の一冊の雑誌を取って眺めた。三十年三月二十五日号の日本週報である。そこには「北海道を狙う軍事基地、南樺太の実態」という、大きな見出しが躍っている。筆者の菅原道太郎という名前と、その経歴とが書かれてあった。彼は意味もなく、その経歴を眼で追っていった。

――大正十一年北大農学部卒、昭和三年樺太庁農事試験所技師、昭和二十年赤軍進駐後、ソ連民政局嘱託となり、日本人食糧増産を督励中、反ソ容疑をもって逮捕投獄せらる。昭和二十二年証拠不充分で、ハバロフスク検事局で不起訴となり帰国。昭和二十四年連合軍総司令部情報部特殊顧問。昭和二十九年同退職しソ連研究に専心、著作に従事。

――ウム、菅原氏も樺太でスパイ誓約をさせられ、ラ氏の手先にさせられた。そして、ラ氏は賞めていたが、彼もまた快く当局に協力してくれた人物である。つまり、ラ氏の評価は高いがそれを裏切って、当局に協力してくれている。

――庄司対日暮、吉野対志位、都倉対菅原。何と対照的なことだろうか?

彼は雑誌を机上に落した。そこにはまた新聞の切抜きが二枚。五月十八日付の朝日新聞社告であり、五月二十一日付の朝日新聞のトップ記事である。社告には、朝日の海外特派員の、異

動と新配置が報じられ、清川勇吉氏をモスクワ駐在としてあった。そして、もう一枚はその入ソ第一報であった。