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迎えにきたジープ p.064-065 訊問事項次の如し。

迎えにきたジープ p.064-065 If I incur their displeasure, I cannot return to my homeland Japan for a lifetime. I was caught in deep loneliness and fear and answered everything as they liked.
迎えにきたジープ p.064-065 If I incur their displeasure, I cannot return to my homeland Japan for a lifetime. I was caught in deep loneliness and fear and answered everything as they liked.

このことありてより四、五日後、収容所付のMVD(少尉)より彼の部屋(二重扉にて錠あり)に出頭を命ぜられ、次の事項に亘り訊問調査を受けたり。

1、氏名 斎藤卓郎 年 月 日 生 三二歳

本籍 鹿児島県日置郡——

父母 健在 弟妹五名健在

父の職業 役場員 母 農業

2、出身学校 鹿児島県立中学校、第七高等学校、九大工学部

3、就職先 ——造船所

4、入隊の状況(略)、少尉任官は一九四三年十二月一日

5、部隊の任務(略)

6、航空発動機、軍艦、旋盤の断面略図、之はMVDは何れも知らざる為、極く簡単にスケッチにてごま化せり。

以上にて第一回目は終りたり。それから又暫くして一九四六年二月の半ば頃、又も上記MVDに例の彼の室に呼び出され、上記事項のスケッチ不十分なる点を更に書く様強要せられたり。

以後当地マカリオを出発に至る迄異状なし。

私は玆に於ては倉庫の建築作業に指揮官として(ソ連側監督より指名)従事せり。

一九四六年十一月十八日私達の大隊は帰還の為集結地マルタに向い出発せり。(約一〇〇〇名の中八五〇名)残り一五〇名は其の後の情報によればチェレムホーボ第31の1(炭坑作業)に移動せる模様なり。

一九四六年十一月十九日マルタ第三八二の2収容所に到着。当収容所の修理等雑作業に従事中異状なし

一九四七年二月の或る日(夕方)、MVDより呼び出され、訊問調査を受けたり。この時のMVDは大尉一、通訳(見習士官)一にして「マカリオ」に於ける調書を見つつ訊問せり。

二月末頃、部下一〇〇名を連れべリーの製材工場に出張、三月二十日頃二十三時過ぎ所長の命により歩哨来り、直ちに之と同行、翌四時三十分頃マルタに到着。

収容所門にて歩哨次の如く言えり『八時になったら所長の所へ行け』と。八時に所長の所へ行きし所、暫く待てとのことで待つこと約三十分ばかり、例のMVDの通訳来り私を彼等の例の場所に連行す。この日は上記大尉、通訳の外に中佐居り、主としてこの中佐が訊問せり。

訊問事項次の如し。

1 過日大尉が調べし調書により同様の事を調査せり。

2 作業の状況

『皆元気で百%以上毎日遂行しあるも食糧は二食分にて少く、段々弱りつつあり』と答えたり。

マカリオで二回、又此のマルタへ来て二回目。私は何が故に斯様に取調べを受けるのだろうと不思議でたまらなかった。〝エンジニャー〟なる為なのか? 若し彼等の気に触れる様なことがあったら一生涯なつかしの祖国日本へは帰れない。炭坑作業手として送られ、遂にシベリヤの土と化せねばならないか? と私は深コクなる寂莫感と恐怖心に包まれ、彼等に都合の良い様にすべてを答え

たり。

迎えにきたジープ p.066-067 私はソ連に味方するであろう

迎えにきたジープ p.066-067 Colonel arrogantly ordered me to sign the following: "When I return to Japan, I promise to provide information in the fields of politics, transportation, economics, mainly my specialized heavy industry."
迎えにきたジープ p.066-067 Colonel arrogantly ordered me to sign the following: “When I return to Japan, I promise to provide information in the fields of politics, transportation, economics, mainly my specialized heavy industry.”

と私は深コクなる寂莫感と恐怖心に包まれ、彼等に都合の良い様にすべてを答え

たり。

3 日本には壁新聞があるか。壁新聞をどう思うか?

日本には斯様なものはない。然し学校に於ても会社に於ても、之と同じ様な雑誌を発行して各人に配布している。

意見の発表として又宣伝用として、或は啓蒙の為、壁新聞は良いと思う。

4 日本は何故に敗北したか?

イ、日本の科学がおくれていた。

ロ、日本の社会機構が悪かった。

ハ、戦争の目的が間違っていた。

5 ソ連の参戦をどう思うか。

正しかった。戦争に苦しみある世界人民の解放戦であった。

6 ソ連の国家社会制度を如何に思うか?

良ろしい、ソ連は理想的国家である。

7 ウン、そうである。日本も将来斯様な国家にならねばいけない。然るに日本の資本家、財閥は米国の資本家財閥と手を握り、ソ連に対峙している。将来米ソ戦が起るかも知れないが、若しも米ソ戦が勃発したら、お前は何れに援助するか?

私はソ連に味方するであろう、と言わざるを得なかった。

これ等の事は総べて白紙に問、答とも私に筆記署名せしめたり。

尚、大尉は通訳を通じて露語にて書き、之にも私の署名強要せり。

8 私が『ソ連に味方するであろう』と答うるや、中佐は傲然と威猛高に次の事を署名せよと命じたり

イ、私の偽名を川とす。

ロ、私は日本へ帰ったら政治、交通、経済、主として私の専門たる重工業の分野に於て、情報を提供することを約束する。

一九四七年三月—日                署 名

茲で中佐は私に何か質問はないかと云へり。私は茫然として放心状態にあり、一刻も早く此のノロハシキ部屋を出たかったので別にないと答へたり。中佐は又次の如く私に筆記署名せしめ、暗記を強要せり(書面を見ずに五—六回も云はせたり)

9 あなたは何時企業をやるつもりですか?

私は金がある時に。

一九四七年三月—日                署 名

そして次の様に説明せり。

『あなたは何時企業をやるつもりですか?』と問はれたら、『私は金がある時に』と答へればよ

ろしい。

迎えにきたジープ p.072-073 次の情報を提供することを誓約

迎えにきたジープ p.072-073 By March 15, I was called twice and was forced to sign, but did not respond. However, seeing my subordinates fall down one after another due to extreme overwork, I finally signed the spy pledge on March 16th.
迎えにきたジープ p.072-073 By March 15, I was called twice and was forced to sign, but did not respond. However, seeing my subordinates fall down one after another due to extreme overwork, I finally signed the spy pledge on March 16th.

二月四日再び呼び出され調査を受く。そのときには中佐がいて前回と同様訊問し、次の如き事項を誓約せしめんとした。

1 収容所内に於ける軍国主義者の摘出。
2 内地帰還後に於てソ連代表者に対する情報の提供。

私は日本人として出来ないと断言して席を立たんとした。すると中佐は次の如く脅迫した。

1 お前は重労働五十年の刑に処せられる。

2 お前の大隊は直ちに伐採に出す、人事権は私が掌握している。

3 お前の大隊は一番遅れて内地に帰す。

しかし私は室を出た。二月十一日夜突然私の大隊は伐採作業の命を受けた。

三月十五日迄に前後二回呼出され、署名を強要されたが応じなかった。しかし極度の過労の為つぎつぎと部下は倒れて行くのを見て、私は遂に三月十六日署名した。

1 私の偽名を丸太波乗と云う。

2 『私はクレムペラーを持って来ることが出来ませんでした』と云って来る者(それは如何なる国の人であるか判らない)に次の情報を提供することを誓約する。

イ 内地に於ける細菌研究所の位置、内容、研究主任者氏名。

ロ 内地に於ける軍需工場の位置、内容、主任者氏名。

一九四七年三月十六日      署名

その後で中佐に、もし私が内地に帰還後情報を提供しなかったら如何になるかと問うた所『アナタの御想像にまかせます』と答えた。

注意事項として次の事項を云われた。

1 ソ連大使館に積極的に近づいてはならない。

2 舞鶴で米軍の調査を受けても、山の中で何も知らないと答えよ。

三月十七日私の大隊は伐採作業の中止を命ぜられた。

四月二日マルタ収容所で例の通訳と写真機(小型ライカ)を持った地方人に、写真撮影されようとしたが、目的を示さないので拒否した所、日本新聞にのせると称して半身脱帽(将校服、坊主頭姿)で三枚写された。

八月十五日ナホトカで突然例の通訳が来て『元気ですか、それでは願います』と云われた。

九月二十五日ナホトカ出港、二十七日舞鶴港に到着した。私の落着先は鳥取市内某方であるが、本年末又は明春には札幌市内某方(父の友人)に行く予定である。私の様に任務を命ぜられた者は、マルタ収容所だけでも二十名を下らない。

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ぐるしく進みつつある。