警視庁の記者クラブ員には・都の交通局から・都電用の優待パス・支給される特典」タグアーカイブ

最後の事件記者 p.180-181 御用聞きをもっとも軽べつする

最後の事件記者 p.180-181 これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。
最後の事件記者 p.180-181 これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。

話がそれてしまったが、特ダネ取材というのは、純枠に心理作戦なのであって、それは不断

の努力が必要なのである。必ずしも、他人より早く出勤したり、役所の中を熱心に歩き廻ることではない。

御用聞き記者

もちろん偶然が幸いした特ダネというのも多い。帝銀事件での、毎日のあのスクープ写真は、たまたま現場付近の自宅に、非番で在宅していた電話交換手の第一報が、警察の現場出張より早かったからであった。

私は三年間の警視庁記者クラブ在勤中、一週間に一度ある泊りに、いわゆる庁内廻りを一度もしなかった。夜から翌朝にかけて、翌日の日勤記者たちが出勤してくるまでの全責任は、この泊りの記者一名に負わされる。それなのに、私は御用聞き然と、庁内を「何かありませんか」と、廻ることに屈辱を感ずるので、要領良くこの庁内廻りを一度もしなかった。

私の取材理念は、「何か事件はございませんでしょうか」「何か教えて頂けませんでしょうか」「何か書かせて下さいよ」といったような、御用聞を、もっとも軽べつするのである。これほどおろかな取材方法があるだろうか。私は「今これをやってるだろう」「あれはどうなったんだ」「手伝うから、こういうのをやったらどうだ」「あのことでは、これだけ教えてやるから、ギヴ・アンド・テイクでいこう」といった調子である。

これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。

心理作戦は不断の努力だといった。私は警視庁へ通うのに、新宿の西口から都バスに乗って桜田門で降りる。西口から、バスに乗りこむと同時に、車内を見廻す。次の停留所二幸前で降りる人物を探し出すのだ。男女別、服装、手荷物、表情、態度、すべてのデータから、二幸前で降りそうな人をえらんで、その前に立つ。的中して降りれば、そのあとに坐る。二幸前がなければ、次の伊勢丹前だ。その次は四ツ谷駅前。

この三カ所で降りる人物を探し出さねば、桜田門まで立っていなければならない。そのためには、そこで降車する必然性を、外見的特徴から探り出し、判断するのである。その時、クツをみて警察官をえらび出し、その男が桜田門でおりるかどうかを、心の中でカケる。私服警官の前に立っていたならば、最後まで坐ることはできない。刑事のクツはすぐ判る。

次は車掌の観察である。警視庁の記者クラブ員には、都の交通局から都電用の優待パスが支給

される特典がある。パスには赤い二本線が入っている。都バス用は三本線で、二本線では都バスに乗れない。

最後の事件記者 p.182-183 いわゆる記者のカンを養う

最後の事件記者 p.182-183 私は細かに車掌を観察する。彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。
最後の事件記者 p.182-183 私は細かに車掌を観察する。彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。

次は車掌の観察である。警視庁の記者クラブ員には、都の交通局から都電用の優待パスが支給

される特典がある。パスには赤い二本線が入っている。都バス用は三本線で、二本線では都バスに乗れない。

だが私はこの二本線のパスで、都バスを利用するのである。そのためには、車掌の人柄如何が問題なのである。「これは都電用でバスには乗れません」と断るのもいれば、「どうぞ」と認めるのもいる。

私が準備している言葉は三種類だ。「お願いします」「これでもいいんでしょ」「御苦労さん」。私は細かに車掌を観察する。髪型、化粧、服装、他の乗客への態度、金の扱い方、切符の切り方、停留所名の呼称、その声音と声質。

そして、彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。そして、二本線のパスを示して、前の三種類の言葉のうちのどれかを使用するのだ。「どうぞ」という場合もあれば、「ダメなんですけど、この次からは切符を買って下さい」というのもあり、「ダメです」もあった。ダメの時に備えて、二十五円はポケットにすぐ出せる準備をして、恥をかかないようにしている。

このような訓練が、いわゆる記者のカンを養うのに、どのようにプラスしたかは、もちろんい

うまでもない、と信じている。当時、熱心に庁内を廻っていて、二度も大きな事件を落して、左遷された記者もいた。彼などは真面目で熱心だったが、いわば運が悪かったのであろう。その点では、私は運が良かったのかも知れない。

かつがれた婦人記者

私がサツ廻りのころである。上野署の少年係で、主任と名札のある机に坐ってボンヤリと考えこんでいると、ノックの音がして一人の婦人が、少しオズオズと入ってきた。私を認めると、一礼して近づいてきた。

隣りの防犯係の部屋とは、あけ放したドア一枚で通じていて、そちらでは数人の刑事が坐っていたが、少年係には誰もいなかった。私の前にきたその女性は、二十七、八才。彼女は、一枚の名刺を出して、「あのゥ、何か面白いことはございませんでしょうか」という。名刺をみると、某婦人新聞記者とある。『エ?』と、反問しながら、彼女の話し方を聞いて、「ア、この女はオレをデカと間違えているナ」と感じた。私はその時、この婦人記者を、一つダマせるところまでダマしてみよう、というイタズラ心が起った。芝居はお手のものである。