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p67下 わが名は「悪徳記者」 社を退職すべきだと判断した

p67下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 二十一日の月曜日早朝、辞表を持って社会部長の自宅を訪れ、経過を説明して、注意があったにもかかわらず、深入りして失敗したことを謝って辞表の受理方を頼んだ。
p67下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 二十一日の月曜日早朝、辞表を持って社会部長の自宅を訪れ、経過を説明して、注意があったにもかかわらず、深入りして失敗したことを謝って辞表の受理方を頼んだ。

記事以前の取材活動のやり方は、記者個人によってそれぞれ違うが、取材経過が刑事事件になったとすれば、あくまで記者自身の責任で、社会部次長や部長、局長には全く何の責任もない。そこで、私は責任をとって社を退職すべきことだと判断した。もしこれが、一個人の私情や金の誘惑があったとすれば、新聞記者の本質的問題だから、クビになるのが当然だが、私にはそれがないから退職しようと決心した。

私はすぐ社を出て、塚原さんを訪ねた。「貴方は何の関係もない方なのに、事件の渦中に引きずりこんで申し訳ない。明朝、警視庁へ出頭して、私に頼まれたと事情を説明して下さい。なまじウソをいうとかえって疑われるから……」と、事情を話して、お詫びと私への信頼を謝したのち、私は萩原記者の自宅へ行って、説明しておき、帰宅して辞表を書いた。

二十一日の月曜日早朝、辞表を持って社会部長の自宅を訪れ、経過を説明して、注意があったにもかかわらず、深入りして失敗したことを謝って辞表の受理方を頼んだ。部長は大いに心配して下さり、逮捕されることなく当局の調べをうけられれば、社をやめることもないではないかと、刑事部長に折衝して下さったが、私はこれを固辞して、退社し被疑者として逮捕されるべきだと主張した。私には、暴力団との取引を排除して、正攻法で捜査するという、当局の態度がよく判っていたので、私も逮捕されるべきだと思った。それがこの事件に対する当局の態度として正しいし、当然なことだからである。私も刑事部長と捜査二課長に、「取材以外の何ものでもない。だから何時でも逮捕されるなら、出頭するから呼んでほしい」と、自宅の電話番号まで知らせた。