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迎えにきたジープ p.130-131 あの濃い眉と険しい鼻の四十男

迎えにきたジープ p.130-131 Katsumura remembered. Siberia five years ago. A man who jumped into a urine barrel with encephalopathy when typhus fever was raging. It overlaps with the man's face he saw at Club Pigeon.
迎えにきたジープ p.130-131 Katsumura remembered. Siberia five years ago. A man who jumped into a urine barrel with encephalopathy when typhus fever was raging. It overlaps with the man’s face he saw at Club Pigeon.

身体を投げ出して逃れようとした人もありました。けれども無駄でした。汚されたうえに更に脅迫が続くのです。一人落ち、二人承知し、次々に恐しい誓約書を書いてゆきました。そし

て私もとうとうその一人になりました。

非生産的で、働らかざるものは食うべからずというので、私たちダンサー十五人は強制送還ということになりましたが、列車の停る度毎に、青帽子に青肩章の将校が、誓約書の念を押し、大連の出帆真際まで執拗に脅迫が続いたのです。

東京での仕事は、必ずアメリカの将校のくるキャバレーと決められ、情報収集が命令されました』

呟くような声で、和子の想夫恋は、るるとして続いていた。

『だけど、私にはあなたが生きているとは信じられなかったの。生きていてもシベリヤに送られれば、再び日本の土を踏めるあなたではなかったでしょう?』

四 バイラス病原菌の培養成功

もう一時間近く待っていた。地下鉄の赤坂見付駅の入口を一直線に見張れる弁慶橋のらんかんによりかかりながら、勝村は現れてくる筈の大谷元少将を張り込んでいた。キリコフとの連絡は必らずここが使われるのだ。

ホームへ降りる長い階段が、誰にも怪しまれず二人だけになれる絶好のレポの場所だ。今日は場合によっては、尾行して機会を狙って大谷元少将を誘拐する予定でもあった。婦人用の小さなコルトが、背広のポケットを心持ち重たくしている。

退屈まぎれに、もう読み終えた夕刊をもう一度ひろげ直した時、彼は首をかしげた。二段組の警察(サツ)種が何かおかしかった。

「生血を吸う四人組」という見出しのその記事は、十四日、谷中署では詐欺並びに横領の疑いで台東区浅草山谷三の二、第二十六号厚生館止宿、無職一色三郎(24)同関根道男(24)同東条境史(20)同浜野年久(30)の四人組を検挙した。調べによれば同人らは葛飾区本田立石町一三東京製薬採血工場の健康診断合格登録証二百枚を買集め、金に困っている浮浪者たちに貸し、二百CCの血液代四百円のうちから二百円をピンハネし、約五十万円を稼いでいたもの。なお同署では不潔な血による被害がなかったかを、同工場につき調査している。と、トッポイ四人組の悪事を報じたものだった。

勝村の眼は生き生きと輝き、最後の「なお同署では……調査している」というくだりをみつめていた。

五年前のシベリヤ。発疹チフスが荒れ狂っていたころ、重病人に無検査の輸血が行なわれて、生命は取り止めたが、身に覚えのない梅毒やマラリヤが伝染していった。——勝村はその恐しい事実を知っている。

『ウ、彼奴だ…』

脳症で小便樽に飛び込んだ男、あの濃い眉と険しい鼻の四十男の顔が、クラブ・ピジョンで みかけながら、どうしても想い出せなかった男の顔とダブッて、ピタリと重なる。

p60下 わが名は「悪徳記者」 その男に自首をすすめた

p60下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 旅館について、明るい灯の下で、〝山口二郎という人〟を見た私は、どうやら小笠原郁夫らしいナと感じた。いろいろの話をしたのち、私は、その男に自首をすすめた。
p60下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 旅館について、明るい灯の下で、〝山口二郎という人〟を見た私は、どうやら小笠原郁夫らしいナと感じた。いろいろの話をしたのち、私は、その男に自首をすすめた。

私の車を認めて、一台の車が向い側で止った。

ドアを開けて、一人の男がこちらに走ってくる。私は『山口さんですネ』と念を押してうなずく男を、すぐ車中に招じ入れた。チョッとしたスリラーである。例のフクも乗りこんできた。私は運転手に『奈良へ』と、赤坂見付にある社の指定旅館「奈良」へ行くように命じた。これが、新聞記事にある〝共同謀議をした赤坂の料亭〟の正体である。旅館のママさんは、一流料亭のように扱われたのでニヤニヤであろう。近頃のデカやサラリーマン記者には、〝赤坂の料亭〟など、見たこともないし、旅館と料亭の区別もつかないのであろうか。

旅館について、明るい灯の下で、〝山口二郎という人〟を見た私は、どうやら小笠原郁夫らしいナと感じた。いろいろの話をしたのち、私はその男に自首をすすめた。

『しかし、自首といっても、形はあくまで逮捕ですよ。犯人が自首して出るなンてのは生意気ですからね。警察というものは、犯人を逮捕しなければ、威信にもかかわるのです。だから私はあなたを、あくまで逮捕させるのに協力するのです。そして、ウチの紙面でももちろん逮捕と書きます』

彼は、『まだ自首できない』と答えた。その理由をいろいろと述べるのである。私はもう深夜なので、時間を気にしはじめた。明日までに週刊「娯楽よみうり」に決りものの、「法廷だより」の原稿を書かねばならない。

『ともかく、一晩ゆっくり考えて、自首する決心をつけなさい。もし、どうしても自首できないならば、明日の夕方までにここを立ち去ってもらいたい』

と、私は厳しくいって「奈良」を出た。