4月17日・ナホトカ到着」タグアーカイブ

迎えにきたジープ p.068-069 早まった事をしてはいけない

迎えにきたジープ p.068-069 I was hurried to go outside without a cap, and I was photographed by a man called his friend. (no cap, military uniform for officer, and close-cropped head) I thought I had failed, but it was too late.
迎えにきたジープ p.068-069 I was hurried to go outside without a cap, and I was photographed by a man called his friend. (no cap, military uniform for officer, and close-cropped head) I thought I had failed, but it was too late.

そして次の様に説明せり。

『あなたは何時企業をやるつもりですか?』と問はれたら、『私は金がある時に』と答へればよ

ろしい。

10 それから、日本に帰ったら、お前は何処に住むか、如何なる職業につくか、と強硬に訊間せり。私は次の如く答へたり。

現在日本は極度の就職難にあり、自分は日本に帰って就職出来るや否やは分らない、と。

然るに中佐はどうしても之に答へなければ、一向に私を解放しそうになかったので、入隊前の会社名と、住所を其の場のがれに告げたり。

会社名 某造船所

住 所 某市

以上にて筆記、署名は終り、次のごとき注意事項を考へつつ云へり。

イ、お前が今日玆に呼ばれたことを友達が聞いたら、自動車故障の為に之が修理に呼ばれて、今迄此の作業をやっていた。

ロ、決して他人に言ってはならない。

ハ、日本に帰って、人々からソ連の状況に就いて聞かれたら、私は森林で木材の伐採ばかりやっていたので、ソ連の状況については全然知らない。

ニ、共産主義に関する書物等は絶対手にしてはいけない。

ホ、ソ連大使館には絶対に行ってはいけない。

大体以上で、後は通訳がソ連新聞プラウダの日本欄(確か経済上の情報なりしと記憶す)を通訳して聞かせたり。そして私は遂にこのノロワシキ部屋より放り出された。

私は自分の署名した事の重大さに今更の如く驚き煩悶した。如何にするか? トボトボと出張先に向い、歩きながら考えた。

私には責任がある。部下を全部元気で内地に帰す迄は、如何なることがあっても早まった事をしてはいけない。又日本へ帰ったら直ちに届け出たら何とかなるであろうと。

それから出張先に帰って作業に従事中三月二十五日、又もマルタより歩哨来れり。又かと思っているとき『お前達は近く四月の初め日本へ帰る』早速マルタに帰り、出港の日を待つ間三月二十九日頃、事務所迄来い、との通知で行きし所部屋には例の通訳ありたり。そして愈々日本へお帰りになることになりましたね、お目出度う。一寸外へ出ましょうといって、彼は急いで外へ出た。私もその為に急いで帽子をかぶらずに外へ出た所を、彼の友人と称する奴に写真を写されてしまった。(服装は脱帽、将校服、坊主頭である)失敗った、と思ったが既に遅かった。通訳は左様ならと言い、握手を求めて去っていった。

一九四七年四月八日、私達はマルタを出発、四月十七日ナホトカに到着した。私の大隊は五月十二日の船で帰還した。私達旧将校は如何なる理由か残された。——私の大隊で一部の将校は帰還したが——。そして第六中隊という勤務中隊に編入され、毎日パン工場、軍酒保その他雑作業手として作業に従事した。その後日本新聞社高山氏から私達の残された理由について次のような話を聞いた。