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編集長ひとり語り第40回 皇太后さま、さようなら…

編集長ひとり語り第40回 皇太后さま、さようなら… 平成12年(2000)6月18日 画像は三田和夫48歳(1970.06.08)
編集長ひとり語り第40回 皇太后さま、さようなら… 平成12年(2000)6月18日 画像は三田和夫48歳(1970.06.08)

■□■皇太后さま、さようなら…■□■第40回■□■ 平成12年6月18日

報道機関の揃い踏みみたいに、皇太后さまの微笑みのおだやかさと、品の良さとが報じられていた。

だが、それもそうだが、エピソードを語るむかしの女官たちの姿を、テレビで見たときに私は愕然とした。いまの時代に、これだけの年齢(俗にいえば老婆のタグイ)で、これだけ美しく、これだけ上品な女性が、まだ生き残っていたのか、という驚きである。しかも和服姿である。

いま、巷にあふれている、40歳、50歳代のオバサンたち。そして、60歳、70歳代の老女たち——そのほとんどが醜いし、そして、所構わず、あたり構わず、奇声、嬌声を大きく高く発して、ひんしゅくを買っていることにさえ、気がつこうとしない。

さきごろ、特急列車に乗った。空いていたので、向かいの座席をクルリとまわして、靴を脱ぎ、足を伸ばして、眠ろうとした。昨夜が寝不足だったから、この2時間は貴重な睡眠時間だった。が、眠りはすぐ破られた。

私から4席ほど先の席で、3、4歳の男の子が、甲高い声で騒ぎ出したのだ。後ろ姿で30歳後半の母親は何も言わない。30分ほど我慢していたが、ついに立った。

「ここは公共の場ですよ。子供に静かにしているよう、しっかりシツケなさいよ」

「……」

女はふり向いただけで、わけの分からぬオリエンタル・スマイルを浮かべただけである。子供は騒ぎつづけている。

「このぐらいの年齢でキチンとシツケないと、あと10年もすると、アンタが殺される番ですよ」——女には意味が通じなかった…。

このタグイの母親たちと、それが少し年齢をとった女たちが、街にあふれている。そして老女たちは、自分の顔やズングリムックリのスタイルに、まったく似合わない色や形の服を着て、似合いもしない帽子をかぶって、群れをなして横行している。厚底靴やガングロ、ヤマンバの娘たちは、街のどこにでもいるわけでないから、彼女らの棲息地に入らなければ、不快感を覚えることもない。

が、このタグイの老女や人妻たちは、街のあらゆるところに押し出してくるから、マユをひそめざるを得ない。

テレビのタレントたちの下品さ——その顏も仕事も最低である。政治家たちの、土方(むかしの概念で)か暴力団のような顔立ちを見ると、吐き気がする。民主党の若い候補者たちの多くが、知的で意欲的な表情を見せているのに、自民党の古い議員たちの、なんと下品な奴が多いのか。

前述の列車に乗っている時、「毎日新聞電光ニュース」が流れた。「…天皇、皇后両陛下はいったん皇居に戻った」(6・16所見)とあった。記者もまた「戻った」と「戻られた」との、一字違いの言葉の使い方さえ分からない時代である。

保守党の扇千景党首は、演説で「アタシ」と「アタシども」という。あの年齢なら、当然「ワタクシ」であろうし、百歩ゆずっても「ワタシ」と「ワタシども」であろう。

ワイドショウに出てくる“皇室評論家”のおばさまを除いて、皇太后さまの想い出に登場された老女や、美智子さま、雅子さまのお姿を見ながら、自分の国・日本はいつのまにか、礼節も失い、精神的に荒れ果ててしまったことを、思い知らされた次第だ。

皇室という特殊な家族を温存する、憲法上の「天皇」の在り方は、やはりそれなりの意義がある。皇太后さまの微笑みとお心配りは、やはり、何十年、何百年と続いてきた“誇り高き家族”でなければ、自然に現れるものではないと私は思う。 平成12年6月18日

編集長ひとり語り第57回 アメリカはいつキレるか?

編集長ひとり語り第57回 アメリカはいつキレるか? 平成13年(2001)10月4日 画像は三田和夫48歳(右側 1970.01.05)
編集長ひとり語り第57回 アメリカはいつキレるか? 平成13年(2001)10月4日 画像は三田和夫48歳(右側 1970.01.05)

■□■アメリカはいつキレるか?■□■第57回■□■ 平成13年10月4日

さて、ここまで語ってきた「NO WAR」について、もう私の本音を話さねばなるまい。

そうでないと、入院しただけで、三田もボケてきたと思われそうである。

私の戦争体験は、わずか2年間。シベリアの捕虜生活を加えても4年に過ぎない。他の多くの人達のケースに見るまでもなく、いうなれば、その世界では駆け出しのうちであろう。

だが、その後の新聞記者生活もプラスされて、私のうちなる部分では、大きな蓄積になったと感じている。そのあたりから、「NO WAR」に対しても、純粋な想いがある。

これがもし、日本語で「戦争はイヤだ」「戦争反対」などと書かれていたら、どうであろうか!? 私には、その札を持っている人も、みんなの顔が眼に浮かんでくる。つまり、「戦争」とは、もう何の関係もない、主義、主張や、自分の都合で、そう唱え、そう叫ぶ人達である。すべての人がそうだとはいわないが、多くの人達がそうである。長い長い新聞記者生活の中で、そう感じてきた。

今度の、まさに筆舌に尽くしがたい“21世紀の戦争”といわれる事件で、私達の世代がもう半世紀も以前に捨ててきた、自爆ハイジャックの「特攻」という言葉や、東條首相の「聖戦」という言葉まで、生々しく想い起こさせられてしまった。ブッシュ大統領がやろうとしている陣構えは、“20世紀の戦争”さながらではあるが、中身は少し違う。

古い言葉でいえば、権謀術数、心理戦であり、神経戦である。まさに狼少年とロシアンルーレットがミックスされた感じなのだ。それはNHKの報道に端的に見える。イスラマバードの現地特派員は、「日に日に緊迫の度を加えて…」とあおれば、ワシントン特派員は「イヤイヤ、まだまだ…」と、抑えるといった具合だ。

今日でも、その緊張が静かに続いて、「NO WAR」の静かなポスターそのままの状態であるのは、うれしいことだ。アメリカも、ベトナムや湾岸戦争で、大人になったものだ。 平成13年10月4日