67歳」タグアーカイブ

編集長ひとり語り第29回 野村夫妻の次の舞台は?

編集長ひとり語り第29回 野村夫妻の次の舞台は? 平成11年(1999)10月2日 画像は三田和夫67歳(右側 卒業50年の旅1989.02.13)
編集長ひとり語り第29回 野村夫妻の次の舞台は? 平成11年(1999)10月2日 画像は三田和夫67歳(右側 卒業50年の旅1989.02.13)

■□■野村夫妻の次の舞台は?■□■第29回■□■ 平成11年(1999)10月2日

野村沙知代が不起訴になった。10月1日金曜日に、東京地検が同人に対する計7件の告発に対して、不起訴処分を決定した——新聞報道によれば、浅香光代の「留学という虚偽事実の公表」に対して、嫌疑不充分という理由だったという。他の6件の告発に対しても、同じ理由であろう。

私の代理人である塩谷(しおのや)弁護士から電話があったのは、1日の午後。「地検から連絡があって、午後5時に特捜部に行くことにした。同行できるか?」という。私にはすでにアポがあったので、「来週ではどうか」ときいたが、塩谷弁護士は「地検に来いという電話から判断すると、不起訴処分が決まった、ということでしょう。では、私ひとりで行ってきましょう」となった。その後の電話で、塩谷弁護士は、その不起訴処分の理由について、「72年に結婚したという、本人の認識が、公報の記載となった。その“認識”を崩せなかった」と、検事が見ているようだったと。

72年当時、野村夫妻はそれぞれ、戸籍上に妻と夫とがおり、いうなれば「不倫関係」であった。民法七五二条は、夫婦の「同居・扶助の義務」を明示し、かつ、七七〇条では、離婚提起の第一要件に「配偶者の不貞行為」をあげ、貞操を求めているのが「協力と扶助」である。つまり、夫婦には「住居と性生活の共同」を義務としており、野村克也、沙知代両人は“事実婚”の状態にあったということであろう。

これを換言すれば、浅香告発の「留学」、三田告発の「結婚」は、戦後数十年を経てその本来の語義が変わってきて、検察の「嫌疑不充分」に至ったのであろう。当初、私が危機感を抱いたのは、以前本稿でも指摘したように、自由党の東議員が、比例議員をやめて、東京15区の小選挙区議員に転進しようとした時からである。東議員が比例議員を退職すれば、第6位で繰り上げ当選待ちの野村が、議員になるからである。幸い東議員は3月末に転進を諦めたので、それは沙汰止みになったが、当選した5人の議員の誰かに事故があれば、繰り上げ当選である。これは放っておけないという危機感である。

それ以来、公報の「72年結婚」で告発し、処分決定までは被疑者、起訴になれば刑事被告人という「事実」を作らねば、繰り上げ当選の可能性が残存する、と考えていた。そもそも「留学」は、法定外文書である名刺や、記者会見でのコメントである。私は、立証困難で不起訴の可能性が高いとみていた。しかし、「72年結婚」は公報記載であり、戸籍があるのだから、証拠十分と考えていたのである。

しかし、検察は、「事実婚」を採って不起訴とした。一般人ならそれもよい。だが、国会議員候補者である。法律だけで判断すべきことだろうか。不倫の事実婚を、検察は容認したのである。不倫とは倫理にもとる、ということだ。「起訴便宜主義」という言葉があり、刑訴法二四八条は、検事が起訴、不起訴を決める(つまり胸先三寸次第)とある。不起訴ではなく「起訴猶予」にすべきであった、と私は思う。つまり「不倫の事実婚」に対して、国会議員候補者として倫理性を加味すべきだったのではあるまいか。

検察審査会に対し、私は申し立てしない。浅香申し立てがあるからである。そして検審の実情は、子供の交通事故死の運転者不起訴など、有権者の無作為くじ引きの委員たちに理解できる案件でなければ不起訴不当の結論は出ない。委員たちに理解できないケースでは、すべて「お上が正しい」のである。日本の現状は、まだまだ民度が低いのである。かつて、松本清張の盗作を告訴して不起訴になった経験がある。その時、検審に申し立てて、それを実感している。

だが、検審継続中に時効がきて、繰上げのメがなくなるし、テレビに彼女の顔が出ないだけで、私の告発も意義があったといえよう。ただ、検察には“則定現象”に見られるよう、倫理性を軽視する風潮があるのを、私は憂える。 平成11年(1999)10月2日

編集長ひとり語り第43回 よど号田中のハレンチ!

編集長ひとり語り第43回 よど号田中のハレンチ! 平成12年(2000)7月1日 画像は三田和夫67歳(卒業50年の旅1989.02.11)
編集長ひとり語り第43回 よど号田中のハレンチ! 平成12年(2000)7月1日 画像は三田和夫67歳(卒業50年の旅1989.02.11)

■□■よど号田中のハレンチ!■□■第43回■□■ 平成12年7月1日

よど号事件の犯人のひとり、田中が日本に送還されてきた。顔を隠すでもなく堂々と(ある意味威張って)報道写真におさまり“殉教者“気取りである。私がその場にいたら、ツバを吐きかけてやりたいほどである。

我が国最初のハイジャック事件だった。金浦空港で乗客と引き換えに、当時の運輸政務次官・山村新次郎議員を人質とし、北朝鮮へと飛ばさせた。たしかに、129人の乗客乗員のすべてを殺傷することなく、ハイジャックの目的を達したのだった。が、この事件が引き金となって、次々とハイジャックを引き起こし、「超法規的措置」などという新語を生み、刑務所からの仲間の奪取や、何億円だったか忘れたが、巨額の税金を奪ったりといった、事件の幕開けとなった。

「オレは政治犯だ」「一切黙秘する」といった言動は、日本政府を否定し、革命の尖兵たらんとした赤軍派として、おのれの信念をまげず、さらに活動をつづけようという意思を示すものであろう。

もし、そうであろうならば、私としては、田中のこの“不遜”な態度も、よしとせざるを得ない。

だが、赤軍派を名乗るテロリストたちが、日本政府から奪った金で、銃器を買い、活動資金として、全世界でどのような「殺戮」を行ったか。ダッカ事件然り。何十人、何百人もの人々を殺したのである。

つまり、赤軍派の連中は、非合法生活者なのである。合法生活者(遵法市民というべきか)とは、まったく別の次元で生きており、生きてきたのである。

結婚し、子供を産みその子の成長を慈しみ、かつ期待する——これは、法律を遵守する、遵法市民の当然の権利である。田中にはその権利は主張できない。

北朝鮮に亡命した、よど号事件の犯人たちは日本女性と結婚(合法?)し、子供をもうけていた。小市民的幸福に浸っていたのだ。そして、その子供たちが大きくなってきて、これまでに「5歳から22歳の子供たち20人のうち、18人が日本国籍を取得」(東京新聞)したという。この記事の見出しには、「年内にも妻子の帰国を、支援団体『北朝鮮組の先鞭に』」とある。

東京新聞だけではない。各日刊紙の記事には、みな望郷の思いにかられている、と報道されている——だから、田中の顔にツバを吐きかけてやりたいのである。

妻子のしあわせを願う、小市民的希望があるならば、「よど号事件は若気のあやまちだった」と自己批判し、日本政府の捜査に協力し、すべてを自供すべきである。

妻子の幸せだけは、遵法市民の立場でなどと、甘ったれるナ! 首尾一貫しろ! 子供を産んだ時点で、赤軍派からの転向がはじまったのだゾ。もっと自分に厳しくしろ! 平成12年7月1日

編集長ひとり語り第45回 ついにはじまった母子相戮

編集長ひとり語り第45回 ついにはじまった母子相戮 平成12年(2000)7月8日 画像は三田和夫67歳(右側 秋の爺童会1988.10.15)
編集長ひとり語り第45回 ついにはじまった母子相戮 平成12年(2000)7月8日 画像は三田和夫67歳(右側 秋の爺童会1988.10.15)

■□■ついにはじまった母子相戮■□■第45回■□■ 平成12年7月8日

最近、日刊紙上に「親身になって」というサラ金の広告が目立つ——岩波国語辞典によれば、(1)血縁が非常に近い人、(2)それに対するような心づかい、とある。まさに、文字通り、親(おや)の身になって、なのである。

では、親切(しんせつ)とは、親を斬ることなのか、といいたくなるような、近頃の世相である。家庭内暴力に悩んだ母親が、娘を殺して自分も投身自殺。娘に保険金をかけて、准看護婦の知識を生かして毒殺未遂(他に2人の子供も死んでいる)。

野球部の後輩をバットで殴り、自宅に戻って母を殴り殺す。迷惑がかかるから、殺した方がいい、と弁解する男の子。バスジャックの父母のように、殺されるおそれから逃げて、「説得の自信がない」だと弁解。バスに乗りこんで、刺されようとも、息子から刃物を取り上げるだけの、責任感のカケラもない両親。これに比べれば、娘を殺して自殺した母親は、まだマシである。他人に迷惑をかけないからである。

雪印もそごうも、警察も病院も、責任ある人たちが、4、5人、ガンと首を並べて記者会見で「ご迷惑をおかけして、深くお詫び申し上げます」という、テレビ画面が、今年になって大流行である。そして、誰も責任を取らない。そごうの経理担当副社長が自殺したなど、まさに“責任を取った”鑑であろう。

よど号事件の田中某、自分の子の友人の幼稚園児を殺した母親。オウムの下手人たちと、みんな“お詫びを申し上げます”である。詫びればいいってもんじゃあるまい!

さきに「皇太后さま、さようなら」の稿で、列車内で騒ぐ子供を制止もせずにいる母親に私はいってやった、と書いた。「しつけは4、5歳までが基本。あと10年もすれば、あんたが殺される番だよ」と。だが、その母親には、私のいった言葉が理解されなかったようだ、と。

人の児の親になるという、自覚と責任を考えてない若い夫婦が多い。デキチャッタ婚などと、不見識極まる流行語を生み出す時代を、もっと真剣に見つめねばならないのである。

かく申す私は、三男一女をもうけたが、途中、バットで殴られることも、刃物でズブリもなく、順調に馬齢を重ねている。その基本は、子供の人格を重んじ、誇りを教えた。それは4、5歳までのしつけである。子供に手を上げたことは、小学生の女児に1回だけで、他には一度もない。

塾も家庭教師もなく、学校の成績に干渉せず、進路についての相談にだけ助言する。常に、子供の人格を尊重し、自身の判断を優先させてきた。そして、他人や社会に迷惑をかけずに成人となったのである。

「親切」は、親の代わりに「深・心」の字が用いられ、漢語辞典に出ている。親の字はオヤではなく、親しいの意味だから、親を切るではない。一方、「親身」は漢語辞典にはなく、国語辞典にある。これは「親の身になって」と解すべきだろう。

この親と子と“相い殺戮する”時代は、植木等の「無責任時代」の唄につれて育った世代が、無責任に親になった結果の、当然の帰結である。 平成12年7月8日