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赤い広場―霞ヶ関 p020-021 死因不明。謎の刺青。

赤い広場ー霞ヶ関 20-21ページ 東大法医学・上野正吉博士は、死因の矛盾を指摘。死因不明、ナゾの刺青。死体謀略か…。
赤い広場ー霞ヶ関 p.020-021 The cause of death is unknown. Mystery tattoo.

話の順序で、前後したが、あの死体事件をもう一度考えてみよう。

関係書類や写真に眼を通した、東大法医学教室主任教授上野正吉博士はこういう。

頭部が腐らんしているので、死体をみなければ死因は分らない。屍体検案書にある「水を飲んだもようなし」と結論の「溺死と認められる」というのは矛盾も甚だしいことだ。法医学の知識さえあれば、たとえ解剖しなくとも、もっとハッキリした死因が判るはずだ。水をのむというのは、肺に水が入ることで肺に水が入った状態が溺死というものだ。注射針で心臓の血をとって調べれば、その濃度で、肺に水が入っているかどうか、つまり溺死かどうか 分るだろう。検屍医は、溺死ではなく死因不明とすべきだろう。頭部の骨に傷が見えなかったから、外傷なしと片付けたのだろうが、傷がないといっても、あの程度に腐っていては、外傷なしとはいえないだろう。

上野教授の言葉は、法医学者らしく、自分が死体をみてない限り、データがないのだから断定的なことはいえないという、慎重なものだった。

だが、まだまだ疑問がある。

死体はソ連沿岸警備兵の服装で、所持品は二百八十五ルーブルという大金、軍隊手帖とソ連共産党青年同盟党員証のほか、手紙三通を持っている。

この男の氏名、経歴等は身分証明書に記入されているが、インクが海水でにじんで読めないため、住所氏名不詳とされている。しかし当局では氏名その他が分っている。すると、この三通の手紙の内容が問題となるざるを得ない。

第二次大戦のさい、米軍のシシリー島上陸に当って死体謀略という奇手が打たれた。つまり米兵の死体を漂着させる。この死体が持っている書類によって、米軍の上陸攻撃開始の時期判断を、敵側に誤らせようというのだ。これは成功して、損害をはるかに減少し得たということだ。この死体謀略の戦訓から考えても、このソ連兵死体事件は、その後に起った関事件をはじめとする、一連の怪事件との関連性を信ぜざるを得ないだろう。

第一に死因である。死因がその死体の意味する唯一無二のカギであることは、一般犯罪におけるものと、いささかも違わない。だがすでに死因究明の手がかりはなくなっているの だ。この検屍調書や死体検案書のヅサンさは、上野教授の談でつきていようが、死後約十五日としながら、推定死亡日を五月二十五日としている。(二十五日なら死後十三日)点でも明らかである。いわばこれらの現地当局の書類には信ぴょう性がなく、死因は全く不明だということである。

第二に刺青だ。左手甲のハート印に斜の棒は矢であろうか。これはまあ良いとして、左腕の四寸にわたるSPMWAというアルファベット文字である。果してロシヤ語(文字)であるか、英語であるか、何を意味するのかナゾが深い。