五、新聞記者のメモ
読売新聞は、ソ連帰還者で組織されたこのスパイ団を、ジャーナリスティックに〝幻兵団〟と名付けた。この厖大な組織は、〝幻〟のようにボーッとしていたし、組織のメムバーの数が
何千名というので〝兵団〟というのがふさわしかったわけだ。そしてまた、誓約書の恐怖におびえていることが、気の弱い引揚者の〝幻影〟にすぎないのかも知れなかった。ともかくも、この
五、新聞記者のメモ
読売新聞は、ソ連帰還者で組織されたこのスパイ団を、ジャーナリスティックに〝幻兵団〟と名付けた。この厖大な組織は、〝幻〟のようにボーッとしていたし、組織のメムバーの数が
何千名というので〝兵団〟というのがふさわしかったわけだ。そしてまた、誓約書の恐怖におびえていることが、気の弱い引揚者の〝幻影〟にすぎないのかも知れなかった。ともかくも、この
う事件があったではありませんか』
事実、さる二月二十四日、秋田県仙北郡金澤西根村農業熊常久之助さん弟、千葉久太郎(三五)さんが、東京で誓を破って帰郷直後、『私は誰かに狙われている。誰か訪問客がなかったか』などと口走っていたが、ついに夜九時半ごろ自宅物置で首をくくって、自殺をとげてしまった、という事件も起きている。
筆者の手許には、二百名近いⒷの誓約書の人たちの名簿が作られている。彼らの職業を拾ってみれば、うなずけることも多いだろう。
曰く。食品会社員、逓信職員、鉄道職員、官庁資料課長、弁護士、県牧畜課長、新聞社員、特別調達庁職員、証券会社員、経済関係官庁事務官、県水産課長、百貨店経営、教員。
事件はまだ進展中であり、微妙な関係もあって、現況に関する資料のほとんどを、伏せざるを得ないのは、筆者の遺憾とする所である。
『とんでもないことです。初耳です。人違いでしょう』と。だが、彼らの行動には疑惑につつまれたナゾがある。
Ⓑのスパイたち。その一人はいう。『合言葉がささやかれるのは、もう少し近い将来、米ソの関係がもっと緊迫してからでしょう』と。また一人はいう。『合言葉の男は、もう日本中を飛び廻っていますよ。そして、スパイたちは一生懸命の活躍をしているんです』と。その男は声をひそめて続けた。『何故なら、私の所に来ないからです。私は暗い〝かげ〟を背負った生活に堪えられなくなり、当局の保護を願って誓を破ったのです。不思議に、奴らにはそれが分かるのです。そして裏切り者は、チャンと選り分けて、合言葉をささやこうとしないのです。第一、つい最近関西方面で、東京で誓を破った男が帰郷の途中に、二人の暴漢に襲われて〝お前はシャべってしまったナ〟と散々な暴行をうけたとい
てしまうのだった。
3 現況
だが果たして不気味な合言葉は、すでに東京においてささやかれているのだろうか。筆者は『然り』と答えたい。
だが、誓約書を書いた数万にのぼる人たちの、すべてが組織されているのではない。スパイとなるという誓約書を書いた人たちを分類すると、三種に分かたれる。
その一は、日本の共産革命に協力するという意気込みで、欣然として署名した人々。
その二は、生きて帰るためなら、どんなことでもしようと、軽く引き受けてしまった人たち。だが、この種の人は、船がナホトカの岸壁を離れると同時に、一切は御破算だといって笑っている。
その三は、みてきたソ連の現実から、その誓約書に暗い運命を感じて、ひとりおそれ、ひとり悩み、ひとり苦しんでいる不幸な群れである。彼らは、誓約書に明示された破約の報いに、生命の危険をも感じている。このような人々が、Ⓑスパイたちの八割は占めている。
欣然と働いている『ソ連スパイ』たちの数は、誓約書の約一割、日本国中で千をはるかに越えるだろう。彼らは異口同音に、筆者に答える。