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赤い広場ー霞ヶ関 p.126-127 名儀を偽装しているがほとんどが軍人

赤い広場ー霞ヶ関 p.126-127 Kasatkin, who impersonated Oistrakh's manager and entered Japan, conducted spying activities such as repo with Japanese spies and taking out valuable information.
赤い広場ー霞ヶ関 p.126-127 Kasatkin, who impersonated Oistrakh’s manager and entered Japan, conducted spying activities such as repo with Japanese spies and taking out valuable information.

ドムニッキー氏は鳩山首相の招待にも、〝招かれざる客〟でありながら、〝正式代表〟らしく振舞おうとしたりした。この日ソ交渉の変転自在ぶりである。ヴィクトル・カサドキン氏の来日とともに、目立ってきたのは元代表部の合法化活動であった。

当局側の調べによると、カサドキン氏は二十一年ごろ収容所付政治将校として、少尉の階級でバルナウル収容所におり、さらにナホトカへ移った。現在は大尉だと信じられている。そして来日の目的は伝書使であった。

彼はマネージャーという名目で来たが、それらしい仕事はあまりしなかったという。そして当局の係官は数回にわたって、彼をその視野の外に置かざるを得なかった。

彼はシベリヤ引揚者で訪ソ学術調査団関係の世話を焼いている(という穏やかな表現と、そのオルグであるというドギツイ表現と、どちらが適当であるかは別として)男と会見(男と会見というべきかレポというべきか)したことは確認されている。

彼は三月十九日の離日にさいして、元代表部から託された、大きなトランクを携行していった。その内容は映画フィルムであると信じられている。映画といっても、もちろん劇映画ではなく、情報として価値ある実写映画なのである。彼の使命はこれであった。

スポーツといい、音楽といい、国境や、政治やそして思想を越えて、全世界の人類と共通するこの歓びに、どうしてソ連の宿命的〝業〟であるこの秘密警察が、暗い蔭をかざさねばならないのだろうか。ここにわれわれはソ連の秘密機関の徹底した組織と実力と手口とを見ることができるのだ。

カサドキン氏がモスクワから何を東京に伝え、会った日本人と何を話し、東京からモスクワへ何を持っていったか? について、われわれは事実といいきれる何ものもない。しかし、オイストラッフ氏のマネージャーであるカサドキン氏は青肩章の政治部将校であり、捕虜収容所で日本人の「人間変革」に努力した人物であることだけは事実である。

もちろんこの事実と、オイストラッフ氏の芸術そのものとは全く関係のないことであろう。しかし果して〝全く関係ない〟と断言できるだろうか。私は氏もソ連人であるからには、この事実を〝オイストラッフの暗いかげ〟と呼んではばからない。

例えば現在元ソ連代表部には、八人のソ連人が残留している。この首席のドムニッキー氏も本当の肩書は海軍大尉であり、通商代表ではあるが、通産官僚ではなく正規軍人である。八人のうちで本物はチャソフニコフ領事だけが外交官である。 この肩書と人物の関係は複雑で、ラ手記に出てくるシバエフ政治部(内務省)大佐の、外務省への通報名儀は「市民雇員」であったし、運転手、守衛などの名儀の人物は、殆どが内務省将校であった。