最後の事件記者 p.104-105 五万円程度の札束を出された

最後の事件記者 p.104-105 横で聞いた社会部長も乗り出してきた。『バカヤロー。そんな時は、もらって、飲んで、喰ってから書くンだ。アハハハ』
最後の事件記者 p.104-105 横で聞いた社会部長も乗り出してきた。『バカヤロー。そんな時は、もらって、飲んで、喰ってから書くンだ。アハハハ』

ところが上野駅につくと、日銀側はサッサと本店に運びこんだので、駅警備の湯沢巡査が、 そのトラックにのり、本店で開けさせてみたら、米二俵、木炭五俵、衣類などが出てきたというのだ。

かけつけてきたカメラマンに、米の写真をとらせていると、輸送課長がやってきた。

『これには、いろいろと事情もありますことですし、上司にも報告しませんと……幸い車もありますことですから、席をかえてお話いたしたいと存じまして、一つ……』

要するに、モミ消しに料亭へでも連れて行こうというのだった。その夜、社へ上って聞くと、私の一報で、日銀本店に文書局長の談話を取りに行った記者は〝一見五万円程度〟の札束を出されたそうである。

『実際、あれをみた時は、クラクラッとしたよ。あの金がオレのポケットにあるとすると、今ごろは……』

『何だ。そんなウマイ話なら、オレも誘いにのって、あの車に乗るンだった。何しろ、相手が日銀じゃ、定めし酒池肉林。惜しいことをした』

ヘラズ口を叩いているのを、横で聞いた社会部長も乗り出してきた。

『バカヤロー。そんな時は、もらって、飲んで、喰ってから書くンだ。アハハハ』

『部長、それじゃ〆切に間に合わないですよ。各社が書いたあとじゃ、札束も酒池肉林も、可能性ないですよ。ハハハハ』

結果として、夕刊がないため、各社も後追いはしたが、ウチが写真入りの、立派な、実質的スクープとなったのである。

戦争前のこと。蒲田の愛国婦人会がグライダーを献納するというので、六郷河原の式場に、先輩と一緒に出かけていった。来賓席に通されるや、若いイナセなお兄さんが、「御苦労さんです」といって、御車代と書いたノシ袋を出した。

どうしようかと思って、先輩を見ると、眼でもらっておけと合図する。裏を返してみると、金五円也と、なかなかの大金だった。ポケットに納めはしたが、気になって式次第どころではない。

やがて、次の愛国グライダー第何号の募金箱が、式場の参会者の間を廻されはじめたが、来賓席には廻ってこない。私は、ツト立上るや、ノシ袋のまま、その金を箱の中に入れて、やっと落ちついて取材をはじめたのである。考えてみれば、やはり、新聞記者も、検事や警察官と同じように、なりたてのころほど正義感が純粋で強いのだが、古くなると世馴れてきて、現実と妥協してくるものだ。