読売梁山泊の記者たち p.088-089 なんかコンタンがあるンだナ

読売梁山泊の記者たち p.088-089 羽中田誠次長は、読売切っての名文家、と謳われていた。愛称ナカさん。酒好きだ。私たちは、手を打ってよろこんだ。部員のだれからも愛されていた。
読売梁山泊の記者たち p.088-089 羽中田誠次長は、読売切っての名文家、と謳われていた。愛称ナカさん。酒好きだ。私たちは、手を打ってよろこんだ。部員のだれからも愛されていた。

その点、前の社会部長の竹内四郎の、いわゆる親分肌とは、対照的であった。竹内は、正月はもちろんのこと、日曜日など休日には自宅に部下を集め、豪勢な料理を振る舞い、ともに酒を呑み、麻雀卓を囲んで、徹夜することも、辞さなかった。

来る者は、誰でも拒まないし、一視同仁であった。

カラ出張とねやの中の新聞社論

こんなこともあった——ある日の、ある夜のこと。どうして、そうなったのかは、もう記憶にないが、向島の待合で「君福」という店がある。

私の、すぐ上の兄が、慶応の経済を出て、カネボウに入社し、墨田工場の庶務係長をしていた。当時、イトヘン景気の最中で、この待合を良く使っていたようだ。私も、お相伴で、何回か行き、女将を良く知っていた。もう兄は工場にいなかったが、若い記者たち十名ぐらいが、この店でワイワイと、酒を呑むことになってしまった。

さて、夜も更けてくると、首謀者のひとりである私は、店の支払いのことが、気になり出していた。その夜、その席に、だれとだれがいたのか、定かではないが、二、三人と相談して、私がカラ出張をしよう、ということになった。

このカラ出張の伝票に、ハンコを押してくれるデスクが必要である。もう、十二時ごろだったろうか。社に電話して、朝刊担当のデスクをきくと、ナカさんだ、という。

羽中田誠次長は、読売切っての名文家、と謳われていた。愛称ナカさん。酒好きだ。私たちは、手を打ってよろこんだ。

山本五十六元師の国葬の記事で、読者の涙を誘った、という〝伝説〟の主で、部員のだれからも愛されていた。

「向島の料亭で、みんなで飲んでいるのですが、朝刊のメドがついたら、来ませんか。芸妓はいないけど」

「ウン、なんか、コンタンがあるンだナ」

「ハア、伝票を、ひとつ…」

「ウン、分かった。あと一時間ぐらいだ」

なにしろ、原部長の筆頭次長である。夜中でも、編集庶務からは、すぐ現金が出る。私は、車を飛ばして社へ上がった。「九州出張・○○取材調査のため」という伝票に、五万円と書きこみ、ナカさんのハンコを押した。

宿直で寝ていた庶務を起こし、現金を握って向島へ帰ってきた。全員、ワッと歓声をあげて、とうとう、ナカさんを囲んで、朝まで呑んでしまった。

サテ、それから一週間。私の苦しい生活が始まった。待合の支払いが、それで足りたのか、足りなかったか、その記憶はない。だがともかく、私は社へ顔を出せないのだ。

当時、編集局には、夕方になると、菓子やすし、タバコなどを背負ったオバさんが現われて、編集

庶務に店を開く。それがツケだ。タバコは洋モクで、私は、ラッキー・ストライクだけだった。