読売梁山泊の記者たち p.126-127 私は通産クラブでマージャン

読売梁山泊の記者たち p.126-127 大負けした私は、社にも上がらず、通産省から帰宅してしまった。翌朝、農林省の重大事件に、ギョッとした。読売をひろげてみた。無い! 読売には無い。スッと、背筋に冷たさが走った。
読売梁山泊の記者たち p.126-127 大負けした私は、社にも上がらず、通産省から帰宅してしまった。翌朝、農林省の重大事件に、ギョッとした。読売をひろげてみた。無い! 読売には無い。スッと、背筋に冷たさが走った。

私は、その日、ずっと通産省の虎ノ門クラブに在室していた。私は、他社の社会部記者たちと、マージャンをしていたのである。負けがこんでいて、午後からずっと、マージャン台にかじりついていた。

そして、農林省で重大発表があったとも知らず、夜の九時ごろまで、各社の記者を放さなかった。

彼らも、国税庁や文部省のカケ持ちはいたが、農林省は、私ひとりだった。

大負けした私は、そのまま、社にも上がらず、通産省から帰宅してしまった。そして、翌朝、自宅で、朝日、毎日を広げてみて、農林省の重大事件に、ギョッとしたが、見出しから、発表モノと分かって、安心した。最後に、読売をひろげてみた。

無い! 読売には、多久島の「多」の文字さえ無いのである。スッと、背筋に冷たさが走った。

「そんなバカな! 発表モノじゃないか!」

重い、苦しい気持ちで、農政クラブに電話を入れると、地方部の小野寺記者が出た。

「どうしたんでしょうネ。私は、発表を聞いて、すぐに、社会部のデスクに入れておいたんですが…」

不安は、さらに募った。ニュースが入っているのに、掲載されていない、とは…。かつて、立松、萩原両記者とともに、法務庁クラブ時代、朝連解散の発表モノを、号外落ちして、竹内社会部長に、「バカヤローッ!」と怒鳴られた時よりも、もっと重い足取りで、社へ向かった。

景山部長は、蒼い顔をしたまま、ジロリと一瞥をくれただけで、黙っていた。編集総務になっていた原四郎も、社会部長席の横に立ったまま、私には、眼もくれなかった。

こんな大事件で、しかも、発表モノの特オチとは、まさに、醜態の限りであった。当面の責任者である私には、口を開くべき言葉はなにもなかった。

夕刊では、後追い記事を書いたあと、原因調査が進められた。小野寺記者が、社会部へ連絡を入れたあとの、経過である。地方部記者からの連絡を受けた、その夜の当番デスクの山崎次長は、これを、

読売の特ダネと感違いしてしまった。

そこで、「特ダネだから、隠密に」という注意をつけて、警視庁クラブに、調査を下命した。捜査二課担当の記者は、その夜、〝隠密に〟当たってみたが、反応がない。検察庁に告発した、その夜のことだから、捜査二課では、まだ、なにも反応のないのは、当然のことである。で、山崎デスクは、「明日まわしにしよう」と、結論してしまった。こういう事情が判明したあとのこと、景山は、私にこういった。

「お前、どこに行ってたんだ。デスクは、農林、通産のクラブに社電(注=各クラブとも自社の電話、もしくは加入電話を持っているので、デスクは、出先き記者に用事がある時は、交換手に命じて電話させる)したが、居なかったそうじゃないか」

大特オチの自責の念で、なにも弁解していなかった私は、これを聞いて反論した。

「社電したって? とんでもない。いまだからいいますが、私は、通産のクラブで、夜の九時まで、マージャンしていたんです。その間、社電は一度もなかった。他社の三人という証人もいるんですよ! 社電したというなら、その交換手の名前をハッキリして下さいよ。とーんでもない」

私のばく論に、景山部長は、黙って腕組みをしたまま、なにかを考えているようだったが、しばらくして、口を開いた。

「よし、事情は分かった。マ、いい。オレに考えがあるから、黙って、オレにまかせろ」

数日後、私は部長に呼ばれた。

「特オチの後始末だが、オレが進退伺いを出すんだが、お前も、黙って始末書を出せ」