読売梁山泊の記者たち p.230-231 〈真相〉だけは明らかにしておかねば

読売梁山泊の記者たち p.230-231 《そこで、思い切ってガセネタを一件、赤煉瓦へ渡してみた。たちまち、それが抜けたのが、例の記事(注=読売の大誤報)だったのである》この〝赤煉瓦の男〟こそ、河井刑事課長その人のことである。
読売梁山泊の記者たち p.230-231 《そこで、思い切ってガセネタを一件、赤煉瓦へ渡してみた。たちまち、それが抜けたのが、例の記事(注=読売の大誤報)だったのである》この〝赤煉瓦の男〟こそ、河井刑事課長その人のことである。

そしてさらに、三十年と六カ月の月日が流れて、昭和六十三年五月二十日、朝日新聞朝刊の呼びものであった、前検事総長・伊藤栄樹の回想記「秋霜烈日」の第十三回が、意外や意外、売春汚職事件

の内幕を、ズバリとバクロしてくれた。

《…売春汚職の捜査においては、初期からしばしば、重要な事項が読売新聞に抜け、捜査員一同は、上司から疑われているような気がして、重苦しい空気であった。

そのうち、読売新聞に抜ける情報は、どれも赤煉瓦(あかれんが=法務本省)へ、報告したものであることが、わかってきた。だんだん、しぼってゆくと、抜けた情報全部にタッチした人は、赤煉瓦にも一人しかいない。

そこで、思い切ってガセネタを一件、赤煉瓦へ渡してみた。たちまち、それが抜けたのが、例の記事(注=読売の大誤報)だったのである。事の反響の大きさに、あわてはしたが、犯人がわかって、ホッとした気分がしたのも、正直なところであった》

伊藤栄樹・前検事総長は、このあとにつづけて、《あれから三十年余、赤煉瓦にいた男の名前も、捜査員のなかで、ガセネタを仕掛けた男の名前も、すっかり忘れてしまった》と、わざわざ断わり書きをつけている。

この〝赤煉瓦の男〟こそ、河井刑事課長その人のことである。

この、売春汚職大誤報事件にひきつづいて「立松記者逮捕事件」となる。本田靖春の「不当逮捕」とは、このことをさしているのである。

立松が早逝し、河井も伊藤も幽明境を異にしてしまっている。当時の読売司法記者クラブ員、滝沢も寿里も、故人となってしまった。立松逮捕を指揮した、岸本義広・東京検事長もまた、失意のうち

に世を去ってしまっている。

この事件の当事者のうち、生き残っているのは、私ひとりである。やはり、どうしても〈真相〉だけは、明らかにしておかねばならない。

伊藤栄樹・検事総長が、その遺書ともいうべき、朝日新聞朝刊に連載した「秋霜烈日」(のち、単行本として出版)は、死期を悟っていた伊藤が、異例の退官直後の回想記執筆という、〝偉業〟をやってのけた、のであろう、と思う。

実際、伊藤が、あの〝赤煉瓦の男〟について、真相を語らなかったら、河井信太郎という検事は、日本の歴史に、最後まで、〝社会正義の権化〟であり、〝特捜の鬼〟として、その虚名を、実像としてとどめることになったであろう。

そしてまた、本田靖春の「不当逮捕」はまだしも、いまの若いジャーナリストたちは、新聞社の資料部から、むかしのスクラップを借り出して、無批判に、〝特捜の鬼〟と、河井を美化して書く。

昭電事件のころは、立松が大スター記者に祭りあげられていたのだから、河井の〝私的な利用〟であっても、まだ、よしとしよう。しかし、立松は、そのために、ヒロポンを打ち、身体をこわしてしまう。そして、売春汚職の大誤報事件では、河井の〝情報〟のせいで、立松は逮捕される。

それを見殺しにして、自分は、出世街道を進んで行く。立松のほうは、それから心身ともボロボロになり、不遇のうちに早逝したのである。あの時、なんらかの救済の道を探り、努力すべきが、人の

道であろう。