金久保社会部長と、小島編集局長に対してクーデターを起こそう、という決心は、社の車で送られて、世田谷の家に帰りつくまでにもう、九分九厘まで決めていた。
翌日、やや早目に起きると、社の自動車部に電話して、家から五分ぐらいの距離にある北沢署に車を呼んだ。
たしかに、〝いい時代だった〟と思う。三十歳代の後半とはいえ、出勤には、いつも社用車が使えたのだから…。
ひる前ごろ、赤坂の奈良旅館に着いてみると、小笠原は、昨夜、「指名手配なのだから夜が明けたら、ここを立ち去って下さい」といっていたのに、まだ、旅館に居たし、私の来るのを、待っていたような感じだった。
「どうしたんです。まだ、居たんですか」と私はワザと、詰問調にいった。
「…あのう、お願いがあるんですが…」
——きたな! と、私は思った。
「ゆうべと今朝、花田とも、連絡を取ったのですが、やはり、兄キよりも先に、捕まるわけにいかないんです。それに、私の指名手配はマチガイですし…」
「……」
「…で、兄キが自首するまで、もうしばらくの間、どこかに、かくまって頂けないものでしょうか…」
「え? かくまえ、だって? あんたは、指名手配犯人ですよ。…刑法の犯人隠避罪になるんですよ、この私が…」
今度は、小笠原が口をつぐんでしまった。気まずい沈黙の時が、しばらく流れた。
——ウン、とうとう、飛びこんできたゾ!
——しかし、小笠原との〝取引〟ではダメだぞ。花田に、ゲタを預けなければ…。
ダンマリのなかで、私の心の中では、着々と、クーデター計画が煮つまっていった。
「この場では、私には返事ができない。仕事もあるので、私はでかけるけど、夕方、暗くなったら、花田さんを呼んでおきなさい。
メシは運ばせるけど、部屋から出てはダメだよ。今朝、ここを立ち去らなかったので、私は、再度、今夜には出ていくように、厳重に注意したんだよ」
事務的な口調でそういうと、司法記者クラブに出かけていった。
犯人を旭川へ、サイは投げられた
夕刊の締め切りがすぎたころ、私は、警視庁クラブに出かけていって、キャップの萩原や、捜査二課担当の子安雄一記者に、安藤への追及状況を聞いた。まだ、足取りは、まったくつかめていないようだった。
それから、シベリアで一緒に苦労した、大隊長の塚原元大尉に電話を入れ、「至急、会って相談した
いことがある」といった。