日別アーカイブ: 2020年3月15日

黒幕・政商たち p.046-047 〝政商〟の暗躍する余地がある

黒幕・政商たち p.046-047 ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たち
黒幕・政商たち p.046-047 ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たち

「山口組が参加しなかったので、東亜同志会が流れて、関東会になったというわけだ」

私は、係官と別れて、現場の商社筋を調べだした。某社の幹部はこういう。

「発展途上国(前出『経済協力』白書の言葉)の貿易は、仲々むずかしいンです。当該政府関係へのコミッションなど、二割ほども乗せさせられるのが、常識だったりして……。そこに〝政商〟の暗躍する余地があるンですよ。もしも、その政権が倒れて、反対党が握った場合、『あの商社はこんな高いものを売りつけた』と、ニラまれる恐れがある。コマーシャル・プライスは一億円で、我が社は立派な商売をしていても、相手国には一億二千万円の、ポリティカル・プライスの書類という証拠が残っているンです」

東棉の裁判が進行し、三井物産の建設がはじまれば、やがて事態は明らかにされてゆくであろう。

日米韓三国の〝政商〟をはじめとして、ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たちの〝醜状〟が——。

第3章 〝タバコ〟そのボロイ儲け

昭和四十三年。十月八日付毎日新聞朝刊=阪田泰二氏(前日本専売公社総裁)七日午後八時二十分、肝性こん睡のため、東京千代田区駿河台の杏雲堂病院で死去。五十八歳。

昭和六年東大法卒、大蔵省にはいり、同二十四年東京国税局長、同二十八年理財局長、同三十六年日本専売公社総裁となり、四十年七月の参院選挙のさい、小林章議員派の公社ぐるみの違反で、同年十月引責辞任した。

黒幕・政商たち p.048-049 葉たばこのリベートが河野の利権

黒幕・政商たち p.048-049 河野の強引な資金造りについては、警察では相当の情報を握っていたのだが、その御馬前で〝討死〟したのが、自分たちの先輩平井学であったからだ。
黒幕・政商たち p.048-049 河野の強引な資金造りについては、警察では相当の情報を握っていたのだが、その御馬前で〝討死〟したのが、自分たちの先輩平井学であったからだ。

〝中毒患者〟の実力者

フィリピンからの密使

ある警察の高官が、座談の中でこうもらした。「河野一郎の〝遺産〟を佐藤栄作に〝相続〟させてやらねばとその男はいうンです。思わず、エ? とききかえすと、タバコですよ。葉たばこのリベートが河野の利権だったことは、御存知でしょうが……と、いうンです。この男が、〝怪人物〟でしてネ」

彼は、そこで言葉を切って、心持ち肩をすくめてみせた。海外勤務の名残りであろうか。警察で外務事務官に出向して、海外へ出るのは、エリートに限られている。

三十八年の総選挙にからんで、「平井学事件」というのがあった。

警視庁総務部長から、河野一郎に招かれて、建設省へ転じ、官房長にまで進んだ内務官僚のホープだった人。これが同じ内務官僚の先輩で、大阪府警本部長から建設省入りをし、河野派として三重一区から出馬した、山本幸雄自民党代議士のために、建設省出入りの橋梁業者たちから、運動資金六百三十万円を集めたという事件を起した。

当時、「河野は平井まで射落したのか」と、その建設省入りは、内務官僚たちに大ショックを与えたものだったが、この事件となるに及んで、その反応はさまざまであった。というのは、河野の強引な資金造りについては、警察では相当の情報を握っていたのだが、その御馬前で〝討死〟したのが、清廉潔白をもって鳴っていた自分たちの先輩平井学であったからだ。

「真偽のほどは判らないですよ」と、念を押す、その某高官の話は、平井学事件が生々しいだけに、河野一郎の名前が出ると肩がすぼまるのであろうか。こうして、ヴァージニア葉にまつわる、〝黒い疑惑〟を求めての、私の取材が始められたのであった。まだ、夏の日が、霞ヶ関の官庁街に、明るく輝いているころのことだった。

某高官が、私に与えてくれたヒントは葉たばこの輸入に関しては、何等かの形でリベートが動いているらしいこと。そして、その問題で動いている〝怪人物〟は、通称コバケンなる右翼系の人物——この二点でしかなかった。

まず、右翼系のスジで、〝コバケン〟なる人物の該当者を求める一方、通産、農林、大蔵の各省方面で、タバコに関する資料を漁りはじめた。その結果、明らかになってきたことは、タバコの買付、輸入に関しては、極めて〝情状〟が入りこみ易い仕組みであり、金額が莫大なので数字の上で確たる証拠をつかみ難いこと、そしてさらに、小林派選挙違反事件と同じく〝専売一家〟の厚いカベがあることを思い知らされた。だが、米葉の輸入に関しては、確かに、

〝黒いニオイ〟が臭うのである。

黒幕・政商たち p.050-051 マカパカル大統領の〝密使〟

黒幕・政商たち p.050-051 もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。
黒幕・政商たち p.050-051 もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。

まず、右翼系のスジで、〝コバケン〟なる人物の該当者を求める一方、通産、農林、大蔵の各省方面で、タバコに関する資料を漁りはじめた。その結果、明らかになってきたことは、タバコの買付、輸入に関しては、極めて〝情状〟が入りこみ易い仕組みであり、金額が莫大なので数字の上で確たる証拠をつかみ難いこと、そしてさらに、小林派選挙違反事件と同じく〝専売一家〟の厚いカベがあることを思い知らされた。だが、米葉の輸入に関しては、確かに、

〝黒いニオイ〟が臭うのである。

その元兇は誰か? 時の政府か? はたまた実力者か? 専売一家のカベは厚く、短かい期間と個人の取材とでは、その向う側まで見透すことは不可能であった。が、この短かいレポートで、今まであまり注目されなかった葉たばこ輸入の問題点だけでも指摘してみよう。

フィリピンは北ルソン島。ここは、アメリカのノース・カロライナと同じようにヴァージニア葉の栽培地である。そして、この地方一帯を選挙地盤としているのが、マカパカル大統領の対立候補のマルコス上院議長である。

フィリピンには、二選大統領が出ないというジンクスがある。そして、マカパカル大統領もまた、このジンクスを破れず、さる四十年十一月九日の改選でマルコス上院議長に敗れてしまった。

選挙戦のスタートした四十年はじめから、運動のイザコザで殺された者二十九名というから、その興奮ぶりも判ろう。そして、終盤戦に入った夏のころ、中年のフィリピン女性が一人、羽田に降り立って銀座の東急ホテルに投宿した。ミス・コーラー、三十六才。宿帳にはそう記入されたが、この目立たない外人客こそ、実はマカパカル大統領の〝密使〟だったのである。

大統領夫人の従妹と称される彼女の使命は、莫大な選挙資金の調達であった。その材料はいうまでもなく、フィリピン政府の倉庫にある、葉たばこ。これはマルコス派の地盤である、タ

バコ耕作者たちを切崩し得る、一石二鳥の妙手であった。つまり、日本がフィリピンのヴァージニア葉を大量に買付ければ、ルソン島のタバコニスト(耕作者)たちも潤うからである。

そして彼女が、大統領から与えられてきた〝手土産〟は、再選政権のもとでの日比通商航海条約の批准であった。この条約は、マグサイサイ大統領時代に調印されながら、日本側は批准を終えたのに対し、比側は批准できず、もう十年近くも、タナざらしになっているのであった。

忘れてはいけない。もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。この南国的な独身女性の〝大統領の密使〟は、カクエイ・タナカこそが、アメリカ葉の〝中毒患者〟ではない、唯一人の〝実力者〟と信じているようだった。

専売公社編のたばこ年代記によると、一五四九年スペインの宣教師ザビエルの一行が鹿児島に上陸、日本人がはじめて喫煙の風習をみてから、ほぼ半世紀を経て、一六〇五年、日本全国にタバコが流行するにいたった。明治二年、東京の土田安五郎が、たばこ製造を志してから十七年を経て、明治十九年、千葉商会が口付紙巻の牡丹たばこ、岩田商会が天狗たばこを売り出し、その五年後に、京都の村井商会が両切のサンライズを出した。

明治三十一年に、葉たばこ専売法、同三十七年に、たばこ専売法が実施になって、生産から

販売まで専売制になった。大蔵省専売局が、日本専売公社になったのは、昭和二十四年であった。

どうして、こんな年代記にふれたかというと、民営たばこが専売に切りかえられた、〝家庭の事情〟が、一世紀になんなんとする今日まで、尾を引いているからである。