黒幕・政商たち p.050-051 マカパカル大統領の〝密使〟

黒幕・政商たち p.050-051 もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。
黒幕・政商たち p.050-051 もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。

まず、右翼系のスジで、〝コバケン〟なる人物の該当者を求める一方、通産、農林、大蔵の各省方面で、タバコに関する資料を漁りはじめた。その結果、明らかになってきたことは、タバコの買付、輸入に関しては、極めて〝情状〟が入りこみ易い仕組みであり、金額が莫大なので数字の上で確たる証拠をつかみ難いこと、そしてさらに、小林派選挙違反事件と同じく〝専売一家〟の厚いカベがあることを思い知らされた。だが、米葉の輸入に関しては、確かに、

〝黒いニオイ〟が臭うのである。

その元兇は誰か? 時の政府か? はたまた実力者か? 専売一家のカベは厚く、短かい期間と個人の取材とでは、その向う側まで見透すことは不可能であった。が、この短かいレポートで、今まであまり注目されなかった葉たばこ輸入の問題点だけでも指摘してみよう。

フィリピンは北ルソン島。ここは、アメリカのノース・カロライナと同じようにヴァージニア葉の栽培地である。そして、この地方一帯を選挙地盤としているのが、マカパカル大統領の対立候補のマルコス上院議長である。

フィリピンには、二選大統領が出ないというジンクスがある。そして、マカパカル大統領もまた、このジンクスを破れず、さる四十年十一月九日の改選でマルコス上院議長に敗れてしまった。

選挙戦のスタートした四十年はじめから、運動のイザコザで殺された者二十九名というから、その興奮ぶりも判ろう。そして、終盤戦に入った夏のころ、中年のフィリピン女性が一人、羽田に降り立って銀座の東急ホテルに投宿した。ミス・コーラー、三十六才。宿帳にはそう記入されたが、この目立たない外人客こそ、実はマカパカル大統領の〝密使〟だったのである。

大統領夫人の従妹と称される彼女の使命は、莫大な選挙資金の調達であった。その材料はいうまでもなく、フィリピン政府の倉庫にある、葉たばこ。これはマルコス派の地盤である、タ

バコ耕作者たちを切崩し得る、一石二鳥の妙手であった。つまり、日本がフィリピンのヴァージニア葉を大量に買付ければ、ルソン島のタバコニスト(耕作者)たちも潤うからである。

そして彼女が、大統領から与えられてきた〝手土産〟は、再選政権のもとでの日比通商航海条約の批准であった。この条約は、マグサイサイ大統領時代に調印されながら、日本側は批准を終えたのに対し、比側は批准できず、もう十年近くも、タナざらしになっているのであった。

忘れてはいけない。もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。この南国的な独身女性の〝大統領の密使〟は、カクエイ・タナカこそが、アメリカ葉の〝中毒患者〟ではない、唯一人の〝実力者〟と信じているようだった。

専売公社編のたばこ年代記によると、一五四九年スペインの宣教師ザビエルの一行が鹿児島に上陸、日本人がはじめて喫煙の風習をみてから、ほぼ半世紀を経て、一六〇五年、日本全国にタバコが流行するにいたった。明治二年、東京の土田安五郎が、たばこ製造を志してから十七年を経て、明治十九年、千葉商会が口付紙巻の牡丹たばこ、岩田商会が天狗たばこを売り出し、その五年後に、京都の村井商会が両切のサンライズを出した。

明治三十一年に、葉たばこ専売法、同三十七年に、たばこ専売法が実施になって、生産から

販売まで専売制になった。大蔵省専売局が、日本専売公社になったのは、昭和二十四年であった。

どうして、こんな年代記にふれたかというと、民営たばこが専売に切りかえられた、〝家庭の事情〟が、一世紀になんなんとする今日まで、尾を引いているからである。