日別アーカイブ: 2020年5月24日

黒幕・政商たち p.114-115 水増書類を証拠にするアクラツさ

黒幕・政商たち p.114-115 さきにふれた〝オトシ穴〟というのは、河野—児玉—中曾根の線が動いてくれた時、経済記者にいわれて、電発に出した〝水増書類〟のことだ。
黒幕・政商たち p.114-115 さきにふれた〝オトシ穴〟というのは、河野—児玉—中曾根の線が動いてくれた時、経済記者にいわれて、電発に出した〝水増書類〟のことだ。

田中角栄は補償の件で石井理事に連絡して、彼を相知った。石井は、『緒方はインチキな男だ』というに決っている。そして、田中角栄は同県人を紹介し、石井は田中角栄のカオを立てて電発の保険を契約してやる。こんな推理は、失敬極まりないかもしら

んが、それが人情というものではないだろうか。そして人情の機微をいたわるのが、政治の妙諦というものではなかろうか」

緒方はついに政治家遍歴をあきらめた。彼が慶応で政治学を学んだのは、もうずいぶん昔のことになる。しかし、彼が現実にみた〝政治〟の姿は、あまりにも学問とはカケ離れすぎていた。彼は失望した。

さきにふれた〝オトシ穴〟というのは、河野—児玉—中曾根の線が動いてくれた時、経済記者にいわれて、電発に出した〝水増書類〟のことだ。これを逆手にとって、電発は「緒方はこの通りインチキ野郎だ」という証拠にしたほどのアクラツさだった。

その年、つまり四十二年暮、電発から正式に補償案が示された。いわく、長野鉱区に対し一千二百万円、協力費として一千万円、合計二千二百万円也。彼が三年前に示したのは、五億四千万円であった。

「私はどの政治家にも一銭の現金も出していない。会談の時の食事代くらいしか払っていない。金を出していないからこそ、私の〝政治家の調停依頼〟は、ヤミ取引ではないといえるのだ。そしてあるいはそれだから、まとまらなかったともいえよう。もし、私が金銭で政治家を利用しようとしたのなら、彼らと一つ穴のムジナでこのような話をする資格はないのだ。結論すると、正しい意味での純粋な『政治調停』は、日本の現状にないということだ。

そしていかに正論をはき、それをまた民衆に訴えても、時の権力にいとも簡単に押しツブされてしまうものであるのだ。すべて、私利私欲であり、ギブ・アンド・テイクである」

緒方は紛争の一切を四十年七月に、「工事停止の仮処分」で法廷に移した。そこにニュースが入った。九頭竜の残存部落の補償問題だ。部落側は四億五千万円を要求し、電発は五千万と回答、対立していたのだが、福井県知事の調停で急転直下解決し、電発は四億一千三百万円を支払った。電発が世銀借款の条件である水利権を得るため、水利権者である知事のカオをたてたのだ。

おりから、総選挙の立候補締切日であった。緒方は徒手空拳のまま立った。

そして、敗れた。

でも、彼は屈しない。理想主義にもえて、政界のゆがみをただす一粒の麦になろうとしているのだ。

食いちがう意見

緒方克行氏はいう。

「これは私の見聞した事実の記録だ。政治の裏側にふれてみて、はじめて気がついた。これが新生日本の現実とあっては、海軍特攻の仲間たちの死も、それこそ犬死だと感じた。そして、

私自身の政治への無関心が誤りだったと知った。田中角栄氏の部分の〝邪推〟は、あくまで私自身の〝邪推〟の型の見本であって、田中角栄氏はそうしたというのではないことをお断りしておく」

黒幕・政商たち p.116-117 児玉家で会ったのは事実だ

黒幕・政商たち p.116-117 「緒方という人に会った記憶はない。電発側の話では、緒方という人は、あまりタチの良くない人ということだった」
黒幕・政商たち p.116-117 「緒方という人に会った記憶はない。電発側の話では、緒方という人は、あまりタチの良くない人ということだった」

緒方克行氏はいう。

「これは私の見聞した事実の記録だ。政治の裏側にふれてみて、はじめて気がついた。これが新生日本の現実とあっては、海軍特攻の仲間たちの死も、それこそ犬死だと感じた。そして、

私自身の政治への無関心が誤りだったと知った。田中角栄氏の部分の〝邪推〟は、あくまで私自身の〝邪推〟の型の見本であって、田中角栄氏はそうしたというのではないことをお断りしておく」

これに対し中曾根康弘氏は

「緒方という人に会った記憶はない。児玉さんの家に行ったことはある。児玉さんに頼まれて、電発の補償のことを調べたことは記憶している。しかし、電発側の話では、緒方という人は、あまりタチの良くない人ということだった。また、この問題に深入りすると傷つく、やめろと忠告する人もあり、私はすぐ手を引いた」

だが緒方氏は話す。

「政治記者の話からも、私と中曾根さんが児玉家で会ったのは事実だ。相手は顔の知れる人だし、名刺を交換しなくとも初対面の挨拶ぐらいできる。第一、『緒方に会った〝記憶〟がない』といっているので、『会ったことはない』とはいっていないではないか。いま、清潔ムードで売出し中なので、児玉さんに使われて走ったり、利権に関係しているという印象をもたれたくないのでしょう」

そして、終りに「池原ダム」汚職のケースをつけ加えておかねばならない。

不発に終った「池原ダム」汚職

さる四十三年三月三十一日朝、奈良地検は東京都千代田区丸の内一の一、電源開発株式会社の本社事務所を収賄(経済関係罰則の整備に関する法律)の疑いで捜索、同社管財課長富樫貞夫の任意同行を求め取調べたのち逮捕した。

このように電発本社が家宅捜索をうけ、現職本社課長が逮捕されたというケースは、電発創設以来はじめてのことである。しかも、電発の補償をめぐっての、有利な取計いを期待しての贈収賄事件であるだけに、大きなニュース・ヴァリューがあると見られるのだが、大阪各紙が地元の事件として妥当な扱いをしたのに、なぜか、東京各紙の扱いは不当に小さく、ほとんど眼につかない扱いであった。

事件は昭和三十八年ごろ奈良県吉野郡下北山村地内に、電発が池原ダムを建設することになり、同村漁業協組が漁業補償をうけることになった。同協組はこの補償交渉を同村三尾真一村長に委任して電発との間に、昭和四十年十二月に一億一千三百万円で契約が成立した。

ところが、三尾村長と勝平敬一組合長の二人が共謀して、この補償金のうちから、当時、現場の用地課長であった富樫に四十万円、全国内水面漁業組合連合会長の重政誠之代議士に百万円、重政氏に紹介されて、交渉に当ってもらった、愛知県選出の上村千一郎代議士に五十万円

をそれぞれ勝手に支払った。

黒幕・政商たち p.118-119 富樫の単独犯と認定し逮捕

黒幕・政商たち p.118-119 「電発本社の捜索からは、検事として興味ある書類を入手できなかった。池原ダム事件は単発モノで、これで終りだ」(難藤検事の話)
黒幕・政商たち p.118-119 「電発本社の捜索からは、検事として興味ある書類を入手できなかった。池原ダム事件は単発モノで、これで終りだ」(難藤検事の話)

同協組はこの補償交渉を同村三尾真一村長に委任して電発との間に、昭和四十年十二月に一億一千三百万円で契約が成立した。

ところが、三尾村長と勝平敬一組合長の二人が共謀して、この補償金のうちから、当時、現場の用地課長であった富樫に四十万円、全国内水面漁業組合連合会長の重政誠之代議士に百万円、重政氏に紹介されて、交渉に当ってもらった、愛知県選出の上村千一郎代議士に五十万円

をそれぞれ勝手に支払った。

組合員が不明朗な経理の公開要求をしても両人は応じないので、同村監査委員ら十三氏が、両氏を背任容疑で、さる三月三日に告発したというもの。

告発を受理した奈良地検は、富田検事正以下六人という小世帯ながら、難藤、九谷両検事を事件専任にあて、鋭意内偵に努力した。この両検事と指揮官の小島次席らは〝奈良天誅組〟と呼ばれるほどの正義感にもえた捜査のヴェテランだが、約十名ほどの電発幹部を参考人として調べた結果、富樫の単独犯と認定して逮捕したもの。

重政代議士の容疑は「世話料としてうけた百万円を内水面連合会の帳簿に記入」しており、上林代議士の容疑は「弁護士の弁護料」とされて、捜査を打切らざるを得なかった、という。

「富樫は四十万円の収賄だけで起訴した。電発本社の捜索からは、検事として興味ある書類を入手できなかった。不正があれば、どこまでも追求する。残念ながら、池原ダム事件は単発モノで、これで終りだ」(難藤検事の話)

と、難藤検事は語っている。

第7章 幻のサイエンス・ランド

昭和四十二年。月刊現代七月号=日本万国博の知恵袋・小谷正一(梶山季之)。日本のディズニーといわれる、当代きってのアイデアマン、井上靖氏の出世作「闘牛」のモデルとしても知られる小谷氏は、現代最高のアイデアマンでもある。日本万国博では各方面からその行動が注目されている。

黒幕・政商たち p.120-121 この会社自体が〝政治問題化〟

黒幕・政商たち p.120-121 政財官界のウラ側で、人々を一喜一憂させた「株式会社サイエンス・ランド」の、創立から解散までの問題点は、明らかにしておかねばならないのだ。
黒幕・政商たち p.120-121 政財官界のウラ側で、人々を一喜一憂させた「株式会社サイエンス・ランド」の、創立から解散までの問題点は、明らかにしておかねばならないのだ。

総会屋が演出する華麗な舞台

一流財界人百名を動員

もう二年も前のこと——、誰にも祝福されずに生れた不義の子が、これまたソッと息を引き取ったというのに、墓を暴くようなこのテーマに、マユをひそめる向きは多いと思う。だが、マスコミに報じられることなく、政財官界のウラ側で、人々を一喜一憂させたこの「株式会社サイエンス・ランド」の、創立から、解散までの問題点は、やはり、誰かが明らかにしておかねばならないのだ。何故かならば……、

これほど、大義名分の立った立派な計画の詳細が、何故か、一度も活字にならなかったということは、そこに、何かの理由——圧力やモミケシなどの、公表できない問題がひそんでいるからだろう、と推理される点。

そして、スターとして舞台に登場した、百名もの〝一流財界人〟と、これを演出した人たちが、今の日本の、国のあり方に何かと影響力のある人物ばかり、という点。

このような理由で、私は、あえて、このテーマをえらんだ。

「青少年を取巻く社会的環境は、徒らなる亨楽本位の横行と、無責任な知識の撒布ばかりで科学或いは産業を、興趣深く体系的に学びとる施策は等閑視」されているので、「科学技術と産業の有機的関連を立体構成し、青少年の手でそれに触れ動かす実物教室と、健全かつ独創的な娯楽機関を配備し、家庭園遊のレジャー・ランドを形成」しよう(設立趣意書)というのが、この会社の事業内容である。当今流行の〝産学協同〟に、基本構想を求め、レジャーで大衆と結び、経営の基礎を得ようという、それこそ、立派なものである。

ところが、この会社は設立登記が終り、株式払込が完了して、一年も経っているというのに、まだ何の工事にも着手しなかった。イヤ、着手できないというのが正しい。その原因というのは、タダ一つ——この会社自体が〝政治問題化〟してしまったからである。

資本金十億円、建設予算二十二億三千二百万円といえば、大そうに聞えるが、今また問題となっている、東京第二空港に比べれば、政治問題としては、小指の先ほどのチッポケな問題である。それが、国会で取上げられ、〝政治問題化〟したというところに今の日本の社会構造——政治や経済のあり方がマザマザと浮び上ってくるのである。  

平たくいえば、ハハンとうなずける暗示が見えかくれしていて、青少年のための産学協同展示どころか、青壮年のための、政財官界早分りのパノラマとして、この会社は早くもその〝教育的効果〟を発揮していた。